【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】私の結婚式に駆けつけてくれた多数の友人

三本締めをしてくれた原田芳雄(中央)。その左は若松孝二監督。右端が筆者

私事で恐縮です。前回の美空ひばりとゴールデン街を引き合わせたイラストレーター・黒田征太郎(82)の流れで…。1989年秋、友人達が私の結婚を祝う会を京王プラザホテルで催してくれた時の事だ。黒さん、お金のない私を見かねて記念の引き出物として350枚、全て手描きのイラストをプレゼントしてくれた。しかも額入りで。鳥や花や動物のイラストがすべて一枚ずつ違い、収められていた。参列者の皆さん、どのイラストが当たるかは開けてからのお楽しみ!というものだった。

その後、年末の餠つき大会などで俳優・原田芳雄(2011年没、享年71)邸に行くと、その絵が飾られていると嬉しかったね。

その私の結婚式、ゴールデン街仲間などが駆けつけてくれ賑やかだった。司会が松金よね子、丹古母鬼馬二。乾杯の音頭、挨拶が黒木和雄監督、山本晋也監督。他に作家・立松和平、中上健次、西舘好子、若松孝二監督。友川かずき(現カズキ=フォーク歌手)が唄ってくれ、流山児祥(流山児事務所・演出家)が謳い、福島泰樹(法昌寺住職・歌人)が短歌絶唱を!

ここで街の奇人として紹介した「新宿タイガー」は精いっぱい着飾り、参列しようと駆けつけ、京王プラザの警備員に止められ、事情を話しやっと入れてもらったとか。あの派手な衣装のまま写真に映り込んでいる。

その時の写真を広げると、若い時、共に芝居を作った内田栄一(劇作家)や戸井十月(冒険作家)、高取英(月蝕歌劇団・脚本家)、夏文彦(作家)、横浜ケンタウロスのボス(飯田繁男)らの顔も…(すべて故人)。

別に有名人を並べたて自慢している訳ではない。こうした一時代を築いた人たちからいろんな事を教えられ、背中を見ながら育ち、今がある。こうして立ち止まり思い出す事でもう一度自分に鞭打っているのだ!

ゴールデン街仲間では「まえだ」のママ、「唯尼庵」のキヨ。「さつき」のママ、「桂」の中島…。すでに亡くなってしまった人たち…こうして時代を彩った人達に支えられ、人は、街は生き延びている。実感! (敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

© 株式会社東京スポーツ新聞社