【山崎慎太郎コラム】西武戦は〝賞金が倍増〟 仰木監督「獅子狩り」への執念 

西武は1990年から94年まで5連覇を達成。大きな壁だった

【無心の内角攻戦(20)】西武は1986年から森祇晶監督のもとで88年まで3連覇し、89年は近鉄の優勝。翌90年から5年連続優勝、3年連続日本一と黄金時代を築いていました。

秋山幸二さん、清原和博、デストラーデ、石毛宏典さんらの最強打線を作り上げ、同時に伊東勤さん、辻発彦さんのようなクセ者もいて細かい野球をやってくる。投げていて気が抜けるところがない。7、8番ならって思うところでアウトの計算ができないし、そこがつながると上位に回ってとんでもないことになる。9番の田辺徳雄だって首位打者争いするんだから、そんなタチの悪い9番いないですよ(笑い)。

確かに西武を倒さないと上に行けないというわかりやすい構図でした。でも僕にしたら西武だからどうこうじゃなく、投げる試合で抑えることしかなかった。負けられないのは感じても、何か変わったことをやるわけではないですもん。

権藤博コーチの指示でインサイドばかり行っていたから当たる時もありますよ。練習で辻さんに会ったら「慎太郎、来い」って呼ばれて「(体の)下は許したろ。でも上は許さん」と言われたこともありますね。「すいません」って言うんだけど、また投げてました(笑い)。辻さん、平野謙さんにはよく声をかけてもらいました。

仰木彬監督の打倒西武に対する執念はすごくて、賞金の額が倍になるんです。当時は大事な試合とか、勝ち越したら30万円が近鉄百貨店から出ていたんです。勝利投手にその中からいくらか渡したりね。それが西武戦は60万円になる。普段は渋い球団だし、元が安いというのはあるけど、そこは仰木さんが球団と交渉して「今回の西武戦は賞金が倍やぞ!」って。みんなも「おお~、倍だ!」って(笑い)。

優勝が決まりそうな大一番とかも出ますし、西武戦で中継ぎの清川栄治さんが3試合連続で打者1人ずつ投げて何十万もらったとか(笑い)。僕が投げる時は中継ぎに出番があるので燃えていたんじゃないですか。

エサで釣るわけではないけど、それくらいしないと西武を引きずり降ろせない。ローテは確立されているし、打撃力も足も守備力もあるし、本当に強かったですよね。それをずっと引きずり降ろそうとしていたのが仰木さんだったと思うし“スーパー負けず嫌い”だったですね。マスコミを使って他のチームに西武包囲網を呼びかけて「あそこを走らせたらあかん」「エース級をぶつけなアカン」とかハッパをかけながらやっていました。自分たちの力だけじゃ無理ってことでしょうし、西武にばかり勝たせるわけにはいかないって。

そして94年からは新たな難敵がオリックスに現れました。細い体で振り子みたいな不思議な打ち方をするその男はイチローという。対戦で思ったことは…。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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