レガシィ アウトバックはクロスオーバーSUVのパイオニアだった! しかもアウトバックはアイサイトを初搭載した歴史的なクルマ

北米デビューから遅れること約2年、晴れて日本発表となったスバル 新型レガシィ アウトバック。ひとことで言うならばクロスオーバーSUVモデルであるが、じつはこの市場を開拓したのはアウトバックであった。そこで今回はアウトバックの歴史とかつて存在した派生モデルをご紹介。ちなみにアウトバックは当初ヒットするとは思っておらず、スバルとしてもびっくりの結果であったという。果たしてアウトバックはどんな歴史を歩んできたのか!?

スバル 新型レガシィ アウトバック Xブレイク

新型アウトバックは大きなレヴォーグ! アイサイトXも全車標準装備

ボディサイズこそレヴォーグよりも大きいが、先進装備「アイサイトX」。それに伴って縦型ナビやフル液晶メーターなどを備えており、新型レガシィ アウトバックはまさに大きなレヴォーグというイメージだ

ついにスバル 新型レガシィ アウトバックの日本仕様が明らかになった。

その概要をひとことで説明するならば、大きくて野生的なレヴォーグだ。「SGP(スバル・グローバル・プラットフォーム)」と呼ぶプラットフォームを共通とし、全長4870mm×全幅1875mmとレヴォーグに対してひとまわり大きくワイルドなボディを採用。

日本仕様のエンジンは新型レヴォーグにも積むCB18型1.8L直噴ターボエンジンで、レヴォーグで初採用された自慢の先進運転サポート機能「アイサイトX」も標準装備している。メカニズム的には新型レヴォーグとの共通部分が多いのが新型アウトバックの特徴なのだ。

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アウトバックはクロスオーバーSUVの先駆け! 世界の自動車メーカーに影響を与えた名車

ところで、そんなアウトバックの、四半世紀前に登場した初代モデルが、世の中にどれほどの衝撃を与えたか考えたことはあるだろうか。実は、初代アウトバックの登場は世界の自動車業界にとてつもなく大きな影響を与えたのだ。

1994年当時ライバルは不在! あまりの人気にライバルが追従

新型レガシィ アウトバックは無塗装樹脂フェンダーの面積を拡大し、さらにオフロード色を強めている

アウトバックの特徴は、ステーションワゴンの車体に無塗装樹脂のフェンダーガーニッシュなどでワイルドな雰囲気を与えてクロスオーバーSUV化したこと。車体のリフトアップにより最低地上高も高くしているので、一般的なSUVでは入り込めないような悪路や深く積もった雪道も走りやすいのが走行面でのメリットとなっている。

いまでこそ、アウトバックのようにステーションワゴンベースのクロスオーバーSUVは珍しい存在ではない。

メルセデス・ベンツはEクラスベースのオールテレインに加え、新型Cクラスにもクロスオーバーモデルを追加。これもアウトバックの存在があったからこそ実現したのだ

アウトバックのほかボルボの「クロスカントリー」シリーズ、アウディの「オールロード」、メルセデス・ベンツの「オールテレイン」、フォルクスワーゲンの「オールトラック」などが存在する。

しかし、初代アウトバックが北米で登場した1994年以前は、どれも存在しなかったのだ。アウトバックに準じたモデルのなかでデビューが比較的早いのは「ボルボV70XC」だが、それでもデビューは1998年。

アウトバックの成功がなければそれらのフォロアーが誕生しなかったのは想像に難くないだろう。アウトバックは、クラスを切り開いたパイオニアだったのである。

2003年までは日本だけ違う名前だった! アウトバックの歴史と日本専用名称が生まれたワケとは!?

ところで「今ではアウトバックだけど初代はそんな呼び名ではなかったような」と感じている人もるかもしれない。

実は日本ではその通りだ。海外では登場時から「アウトバック」だったが、日本では別の名前で呼ばれていたのである。「グランドワゴン」や「ランカスター」であったのだ。

初代レガシィ アウトバック(日本名グランドワゴン)は新型モデルと比べると、今ほどオフロード色の強いデザインではなかった。その一方で足まわりは専用設計とするなど、こだわり満点の仕上がりであった

1995年に日本デビューした初代モデルは当初「レガシィ グランドワゴン」と呼ばれ、1997年8月のマイナーチェンジで「レガシィ ランカスター」に改名。1998年デビューの2代目モデルも「レガシィ ランカスター」と呼ばれた後、2003年デビューの3代目からは日本仕様もグローバル名称である「レガシィ アウトバック」へと変更されている。

ちなみにランカスターとは、イングランド北東部にある都市の名称。アウトバックはオーストリア内陸部の砂漠地帯を指す言葉だ。

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ネガティブなイメージから日本だけ別名称に

どうして日本だけ異なる名称がついていたのか?

かつて筆者が、当時を知るスバルの開発者に尋ねたところ「日本では『アウトバック』という言葉は知られておらず、『アウト』に『バック』と前向きとは言えない言葉がふたつも続くので印象が良くなかったから」という答えが返ってきた。

アイサイトの先祖はアウトバックが初搭載! レガシィベースの派生モデルも多数存在

アイサイトの歴史は1999年にまで遡る。もっとも開発自体はもっと前ではあるが、予防安全機能など他社が市販するよりも遥か前に実現させていたのだ

さて、そんなアウトバック(ランカスター/グランドワゴン)の歴代モデルを振り返ると、いくつか興味深い車両がある。

たとえば、1999年に登場した「ランカスターADA」だ。ルームミラー付近に組み込んだ2個のカメラによる画像認識装置が加わり、ACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)のほか、先行車への接近や車線逸脱を警告する先進の運転サポート技術が組み込まれたモデルである。

ADAは「ActiveDrivingAssist」を意味する言葉で、「アイサイト」として現在に続く先進技術の先駆けとなるシステムだった。

派生モデルから独立! レガシィツーリングワゴンに変わってアウトバックがメイン車種に

かつて一世を風靡したレガシィツーリングワゴンは5代目モデルを最後に市場から姿を消したために、現在その血筋を守るのは国内市場に限ってはアウトバックのみ

2014年に登場した5代目モデルが衝撃的だったのは、アウトバックのベースとなっていた純粋なツーリングワゴンモデルが「レガシィ」のラインナップから消えてしまったことだ。

それまでアウトバックは「レガシィツーリングワゴンの派生モデル」といった存在だったが、ステーションワゴンが無くなったことで実質的に専用ボディとなったのである。

セダンのB4ベースのアウトバックも過去に存在

ちなみに日本国内での展開はなかったが、1994年デビューの初代から2009年に終了する3代目までは、北米ではステーションワゴンボディだけでなくセダンのアウトバックも展開していた。日本に正規導入のなかったレアモデルだ。

豪州市場などを中心に発売されていたバハ。こちらはピックアップモデルなのだ

そしてレアモデルといえば、なんといっても「BAJA(バハ)」。これはアウトバックではないが、2代目アウトバックをベースにピックアップトラック化されたモデル。2003年から2006年に北米で生産・販売され、約3万台がユーザーの手にわたっている。

発売当初は売れないと思っていた!? しかもアウトバックの発案者は不明

こうして世界に先駆けて登場し新たなジャンルを創造したアウトバックだが、そのアイデアは誰が出したのだろうか?

前出の当時を知るスバル関係者によると「最初の発案は誰だかわからない。“誰が”というよりは、社内のアウトドアを楽しむ開発者たちの話が盛り上がって『こういうクルマがあればいいよね』と自然発生的にアイデアが沸き、具現化していったのです。でも、具体的な計画が立ち上がったときには社内で『こんなクルマは売れない』と考える人が多く、市販化は風当たりが強かった。本当に逆風だったんです。だから最初にアイデアを出した人もしばらくは下を向いて黙っていたと思いますよ」とのこと。

北米市場で大ヒットとなった5代目レガシィシリーズ。その筆頭がアウトバックで、今のスバル人気を不動のモノとしたといっても過言ではないのだ

しかし、発売されると人気車種となるまで多くの時間はかからなかった。いまでは、スバルの稼ぎ頭となっているのを説明するまでもないだろう。

アウトバックが大ヒットしたのち、スバル社内では「アウトバックのアイデアを最初に考えたのは俺だ」という声があちこちから聞こえるようになったとか。

【筆者:工藤 貴宏】

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