【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】激しい地上げに自警団を作り夜回りもして対抗

「守ろう会通信」第1号(86年発行)

1970年代。新宿ゴールデン街も大人の飲屋街として定着し、文化の発信基地として賑わいをみせていたが、80年代後半のバブル景気に沸き立ち出した頃から雲行きが怪しくなって来た。

86年、この街においても再開発の波が押し寄せてきて、不気味な不動産屋が暗躍し、街一帯は激しい地上げの嵐に晒されることとなった。

当時の組合の理事長が総会で「皆で手を組み。出来るだけ良い条件で立ち退きに対処しましょう」と話し、紛糾した事も。

そして、結果…大家が土地建物を売却してしまった店、結果立ち退かされてしまった店子、居座る店、立ち退き話の来ない店…などで、街は分断されてしまった。

何故か? 実はほとんどの店が大家さんと契約している借家人で、地上げは大家さん達の問題で、借り主には結果が知らされるだけの弱い立場の人達だったからである。

私も79年から「クラクラ」を先代の新子から引き継ぎ経営、ゴールデン街の一オーナーとしては死活問題だった。そのクラクラの大家からもついに「外波山さん、今、立ち退いてくれれば1000万円出すけど…」と話がきた。

空き家の方が高く売れるからだ。冗談じゃないとすぐに断った。が、土地建物は売られてしまった。

危機感を持った店子達が「新宿花園・ゴールデン街を守ろう会」を立ち上げる。まず勉強会と弁護士にも相談、ゴールデン街ゆかりの文化人に依頼してイラストを描いて貰いTシャツを作り販売、資金集めにした。

黒田征太郎、赤塚不二夫、林静一、上村一夫、はらたいら、高信太郎、滝田ゆう、田中小実昌…。皆さん手弁当で参加してくれた。

だが、地上げの勢いは衰えず、一時は250軒ほどあった街が150軒程度に。空き家のドアには容赦なく「〇〇建設所有の店」などとベニヤ板が打ち付けられ、風情も消されていった。
不審火騒ぎもあり、ついに組合も立ち上がり、自警団を作り、夜回りをしたりして対抗した。それは生活権の問題だけでなく、お客さんもオーナー達も皆この街を愛していたから。

そして我々を育ててくれた街だったから、さ~。 (敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

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