ハイデガー『存在と時間』ごく現代的な入門書発売! あの「哲学書の最高峰」が今度こそ踏破できる?!

数年前、 ある凶悪事件の容疑者が逮捕された。 その自宅へテレビカメラが入り、 ニュース映像として流れたとき、 映っていたのは部屋に積み上げられた本の山――。 その最上段にあったのはハイデガー『存在と時間』だった。 哲学に興味はなくても「ハイデガー」という名前を知っている人は多い。 上記の事件と『存在と時間』の内容に関係はありませんが、 この本の知名度をうかがわせる一例と言える。いっぽう、 哲学に関心のある人にとっては、 『存在と時間』はどうしても避けて通ることのできない本であり、 哲学の歴史を画する記念碑的著作。 一度は本を手に取ったとか、 数ある翻訳のうち1種は持っているとかいう人は少なくないだろう。 しかし……この本は簡単には読み進められない。 なぜか。 まず長大であること。 次に、 文章がいくらか親しみやすいわりには、 用語が見慣れないこと。 さらに、 そのためもあって、 ハイデガーが何を問題にしているのか、 わかりにくいこと。 人によってはこの本が未完成であることを知っていて、 中途半端に終わる本を読み続ける意欲が維持できない、 ということもあるかもしれない。 しかし、 これらの問題にすべて応答するのが、 今回発売される『ハイデガー 『存在と時間』を解き明かす』。 まさに“迷路”のような、 巨大な“森”のようなこの哲学書の複雑さを、 じっくり時間をかけて「解明」していく、 350ページ超の堂々たる入門書。 書き手は、 早くも博士論文でハイデガー『存在と時間』読解の新境地を示し、 学界を唸らせた俊英、 池田喬氏。 出身が哲学研究では本流中の本流でありながら、 それにとらわれない視野の広さを持ち、 現代哲学の最先端までの流れのなかにハイデガーを位置づけることのできる稀有な書き手だ。 さあ、 あとは手に取って読むばかり……ではあるのですが、 問題が残っている。 池田氏も「はじめに」で言うように「なぜ、 なおも『存在と時間』について書くのか」ということだ。 ハイデガー“業界”はじつに広く、 そして深く、 専門家による研究も、 一般書・入門書の出版も盛ん。 それなのに、 「なぜ、 なおも書くのか」。 答えは、 「こんな入門書がなかったから」。 専門研究者が、 一般向けに、 『存在と時間』という哲学書の文章をひとつひとつ引きながら、 21世紀を生きる読者が実感できるたとえで、 ハイデガーが何を問題にしているのかを明らかにしていく入門書。 あるいは、 「ハイデガーが乗り移ったかのように世界を再構成してみせて読者を魅了する」という方法ではなく、 また、 「『存在と時間』の執筆の舞台裏を暴く」のでも、 「全編に詳細な注釈を付していく」のでもなく、 第一に原文に基づき、 『存在と時間』以前・以後の哲学史とリンクさせながらハイデガーの問題意識を浮き彫りにしていく――そういうオーソドックスな入門書は、 なぜか、存在しなかった。 そしてこれが非常に特徴的だが、 全11章が「~~か?」という問いかけで構成されていて(下記目次をチェック)、 これらの“素朴な疑問”に答えていくなかで『存在と時間』の全体像が見えてくるようになっており、 しかも、 本書の順序がおおよそ原典の順序と重なっているのだ。 そんな、 「オーソドックスなのに新しい」入門書がこれまでなかったということは、 想像がつくかもしれない。 最後に、 この記事の冒頭にある「心の拠り所」とは何かについて。 たとえばあなたが何かを作っているとき――何でもいい、 企画書でも、 料理でも――、 あっという間に時間がたっていて、 そのために予定や約束を守れなくなったり、 当初の予想とはちがうものができてしまったりすることがあるだろう。 そのとき、 ふつうは、 「もっと早くやればよかった」などと反省をする。 でも、 本当にそうなのか? ほかの人間とはちがう自分、 自己固有の存在のありかたがそこに現れていたのではないか?――そんな問いがありうることが、 ハイデガーの文章から見えてくる。 本書を読みつつ、 日常生活の具体的な場面について、 かつてない観点から考え直す機会が生まれ、 もしかすると、 そこで直観されたことが、 日常を支える確信につながっていくかもしれない。

目次

序 なぜ『存在と時間』についてなおも書くのか 第一章 なぜ存在の意味を問うのに自分自身を問わねばならないのか 第二章 なぜ『存在と時間』の言葉遣いは普通の哲学書と違うのか 第三章 なぜ主体でも心でもなく世界内存在なのか 第四章 なぜハンマーと釘の分析が存在論なのか 第五章 なぜ「世界は存在しない」なんて言えるのか 第六章 なぜ「手」を中心に考えるのか 第七章 「世人」とは誰のことなのか 第八章 「死への先駆」は無茶な要求か 第九章 『存在と時間』に倫理学はあるのか 第十章 結局、 『存在と時間』は何を成し遂げたのか

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