【仲田幸司コラム】最後の夏へ交流試合「やまびこ打線」徳島・池田に完勝

池田の「エースで4番」だった水野

【泥だらけのサウスポー Be Mike(12)】3年春の選抜での悔しい敗戦を経験してより一層、甲子園の舞台で勝ちたいという気持ちが増幅しました。自分たちが一番上だと思えるほど、練習も積んできた。でも、これじゃあまだまだアカンと思うわけですよ。

そしたら、自分たちは何をしないといけないのか。もちろん、ランニングの量も増えました。ピッチングにしても、その場面、その場面を想定しながら考えて投げました。

春の選抜で大阪・上宮にサヨナラ負けを喫してから、最後の夏へ向けての戦いが始まったんです。

確か5月だったと思います。甲子園に出場した学校同士が、地域活性ではないですが、地元に相手チームを招いて招待試合というのがありました。

前年の夏、そして春の選抜で連覇していたのが徳島・池田高校。その後のドラフトで巨人から1位指名される水野雄仁がエースで4番のチームです。その池田を沖縄の奥武山球場に迎えて練習試合が行われました。

沖縄からは県大会優勝の我らが興南と、準優勝の沖縄水産の2校が迎え撃ちました。週末開催で土曜日が沖縄水産、日曜日がメインの興南です。興南対池田の試合は沖縄県内でテレビ放送もされました。

僕はその試合、立ち上がりの初回にいきなり無死満塁のピンチを背負いました。3連打で簡単にフルベースです。「うわ、やっぱり池田は違うわ」と思ったのを覚えています。

あの「やまびこ打線」と言われた超強力打線ですよ。当時の金属バットは、今と違ってものすごく音の高い「キュワィーン」みたいな音がしたんですよ。その音が何となく耳に残っています。

いきなりの3連打で大ピンチ。でも、そこから開き直って、3者連続三振を奪って切り抜けました。そのまま、あれよあれよという間に5―0で完封勝利です。夏、春のチャンピオンに完勝です。

これでまた、マスコミにも取り上げられました。当時の池田・蔦文也監督が世間に向けて僕のことをベタ褒めしてくれました。そういうことも重なり、一躍脚光を浴びる形になりました。

土曜日の試合では沖縄水産が池田に負けていました。そして翌日に日本一チームを沖縄チャンピオンの興南が撃破しました。新聞、雑誌、高校野球記者の方々がみんな来ている試合で池田を完封しました。その結果、夏の甲子園でも優勝候補に挙げられるまでになりました。

その後も北海道や横浜、大阪と練習試合で各地の強豪校と対戦しました。そこでも興南は無敗を誇りました。大阪遠征ではあの「KKコンビ」と言われた桑田真澄、清原和博の2人がいるPL学園とも試合をしました。向こうはまだ1年生でしたけどね。その試合で桑田は投げませんでしたが、清原とは対戦しました。

そして、PL学園の中村順治監督とも桑田、清原についてお話をさせていただいたのを覚えています。次回は中村監督から見た桑田、清原や僕の印象なども話したいと思います。全国の猛者と切磋琢磨しながら、自らの成長を実感する日々。試合をするごとに、緊張感はありますが「まだまだ目標はここではない。甲子園に戻って勝たないといけない」という気持ちでした。夏本番はまだまだ先です。

☆なかだ・こうじ 1964年6月16日、米国・ネバダ州生まれ。幼少時に沖縄に移住。米軍基地内の学校から那覇市内の小学校に転校後、小学2年で野球に出会う。興南高校で投手として3度、甲子園に出場。83年ドラフト3位で阪神入団。92年は14勝でエースとして活躍。95年オフにFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。

© 株式会社東京スポーツ新聞社