井川慶から岩田稔、そして高橋遥人へ・・・ 受け継がれる虎左腕のエッセンス

今季で引退する岩田(東スポWeb)

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】周囲からの評価は高かった。独特な軌道のスライダー。さらに、打者の手元でグラグラッと変化する直球は、ブルペン捕手でさえ「受けづらい」とうならせた。

1日に引退会見を行った阪神・岩田稔投手(37)のことだ。2005年大学社会人ドラフト希望枠で入団。即戦力と期待されたが入団直後は伸び悩んだ。

登板1試合に終わった1年目、06年のシーズン後、岩田は当時の主力投手である井川慶に弟子入りした。同じ左腕の大エース。メジャー移籍直前、茨城・大洗で行われた自主トレに参加し多くのものを吸収した。

「プロでは何度も同じ打者、それも強打者と対戦する。その特徴を把握し、サインを出す捕手の意図を一球一球、理解して投げるのが大事」

井川からの助言を自分のものにできたのは3年目からだった。08年3月29日、岩田は開幕2戦目の横浜戦に先発し6回1失点でプロ初勝利。このシーズン10勝をマークし頭角を現した。

そこからプロ通算16年で60勝。岩田は「少ない」と表現する。だが、大阪桐蔭高2年冬に発症した1型糖尿病と闘いながらの奮投。同じ病気への理解を高め、患者への支援や球場への招待を行う活動も長期にわたり続けてきた功績は絶大だ。

二軍調整が続いた時期、母校・関大の野球部先輩でもある球団職員から叱責を受けたこともあった。「同じ病気に苦しむ方々を勇気づけたいと夢を語っているけど、今のままでは逆に君が皆さんから勇気づけられるだけで終わってしまうぞ」

厳しい言葉をしっかり受け止め、自らの力にした。岩田の胆力には恐れ入る。

井川から岩田へ。虎の左腕が受け継いできた系譜。今は岩田の背中を見て育ってきた左腕が、優勝争いの中で輝きを放っている。それは井川の背番号「29」を継ぐ高橋遥人だ。

故障で9月上旬からの参戦とはなった。だが、激しい優勝争いを展開中のチームにとっての救世主的存在になっている。以前、岩田は「僕は(高橋には)何も教えたことなんてないですよ」と謙遜したが、井川、岩田と受け継いだエッセンスは脈々と生き続けているはずだ。

05年入団の岩田にはタテジマでの優勝経験がない。後輩たちの手で有終の美酒を。最高の花道を。そんな美しい結末をひそかに期待している。

☆ようじ・ひでき 1973年生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、ヤクルト、西武、近鉄、阪神、オリックスと番記者を歴任。2013年からフリー。著書は「阪神タイガースのすべらない話」(フォレスト出版)。21年4月にユーチューブ「楊枝秀基のYO―チャンネル!」を開設。

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