「過疎地に現代アート」仕掛け人が語る、その狙いとは? 「奥能登国際芸術祭」から考える

かつて塩田に適した砂を運んだ「砂取船」をイメージした作品。塩づくりは珠洲市の伝統産業だ=10月1日、石川県珠洲市

 「アートには固着した人間関係や価値観を転換する力がある」。2000年に新潟県で開かれた「大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ」を皮切りに、里山や離島を舞台に現代アートの作品を展示する祭りが長野県や香川県など各地に広がっている。美術館だけではなく、廃校、古民家、海辺といった人々の生活空間にも作品を置き、地域の景観や伝統を生かしたスタイルが特長だ。「大地の芸術祭」の運営に初回から携わり、現在は奥能登国際芸術祭プロジェクトマネージャーを務める関口正洋さんに狙いや手応えを聞いた。(共同通信=浜谷栄彦)

取材に応じる関口正洋さん=10月1日、石川県珠洲市

 ―日本海に突き出た能登半島の先端に位置する石川県珠洲(すず)市で、9月4日から11月5日まで「奥能登国際芸術祭2020+」が開かれている。家々の蔵や納屋に眠っていた民具を素材にするなど歴史と芸術家のひらめきを融合させた作品群が目を引く。珠洲市で2回目となる現代アートの祭典は過疎地に何をもたらすのか。

 「廃校となった小学校の体育館に民具を展示した『スズ・シアター・ミュージアム』が出来上がるまでに地域の約70戸から民具の提供を受けた。桐だんす、輪島塗の器、漁具、木だるには、この地で生きていた人々の身体と記憶が詰まっている。これらを現代アートの作品としてよみがえらせることで地域の誇りが呼び覚まされる。またオープンな場に作品があることで住民と観光客の接点が生まれる。ボランティアでガイドを務める地元の高齢者が都会から来た若い女性に故郷の歴史をうれしそうに話している。こういう光景はなかなか見ることができない。家だと主人と客という立場に分かれるが、作品がそうした関係を相対化するのでフラットな関係で交流できる」

 ―珠洲市はこの70年で人口が3分の1に減った。芸術祭が過疎地に与える影響は。

 「多くの人々が職場や家庭といった日常の関係性の中で自分にふたをしていると思う。例えば、ここでこれを話しても仕方ないとか。一方、作家は変なことをする。タブーと思われていたことをちょっと超える。アートだから大目に見てもらえる部分がある。それを見た地域の人はここまで表現していいのかと気付く。アートは地元を縛っている『自分たちはこの程度だ』という思い込みを解消するし、個々人の抑制を取り外していく。今まではお祭りなどがその役割を果たしていたが、若い人が少なくなり機会が減っている。地域に根差した新しいお祭りの在り方が芸術祭と言える。アートを媒介にして、社会から忘れられたような珠洲の風土が見直される。人口減によって地域の伝統を捨てるのか、新しいものに変えるのか。そうではなく、第三の道があるのでは。もともとあった素材に何かを継ぎ足せば、新しい価値を生んだり、芽をつくったりする。ちょっと接ぎ木するというか、単なる復元ではなく新しい可能性を見せられる。そうしてアートは日常の中に『ずれ』を生み出す。芸術祭をきっかけに、金沢美術工芸大(金沢市)を卒業した若い人が珠洲市に移住する動きもある」

「スズ・シアター・ミュージアム」の内部=10月1日、石川県珠洲市

 ―2000年に新潟県の十日町市と津南町で開かれた「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に携わって以来、裏方として各地の芸術祭の運営を支えている。20年以上にわたり活動を続けてきた情熱の源泉は。

 「アーティスト、地域の人、行政関係者、ボランティア、お客さん。多様な人たちと接することで自分を知るのが面白い。出会いを通して違う視点を得ることで自分の中に発見がある。土地の自然と関わっている農家、漁師と触れ合い、作家が見る視点や作品に込めた意思を感じ、ボランティアの軽やかさに出会うことで自分が今まで持っていた固定観念がひっくり返っていく経験が面白い。多様なプレーヤーを通して、自然と社会のさまざまな表情を感じているのだと思う」

 ―プロジェクトマネージャーの仕事はさまざまな人と協力しないと成り立たない。

 「実際、大変です(笑)。何が仕事のゴールなのか、多元的で分かりにくいので。地域にとっては、芸術祭の成功だけがゴールじゃない。目指す目的地は人によってばらばら。集落のおじいさん、作家、行政それぞれ違う。一方で何万人が来場したかという尺度も必要だし、どうやってみんなをつなげられるか。そこが大変なところ」

2000年の「大地芸術祭」で設置され、今も保存されている棚田の作品=10月3日、新潟県十日町市

 ―奥能登国際芸術祭には行政の補助金が入っている。行政が求める指標と芸術祭がもたらす価値は必ずしも一致しない。葛藤は。

 「珠洲市の財源に加え、国や財団から補助金をいただいている。そこに企業や個人の協賛金やふるさと納税、そして入場料収入を加えて運営している。葛藤というのか、お金を出してくれた人が要求する指標をクリアするのは当然の話。ただそれで終わってはいけない。副産物を豊かにすることを目指している。副産物とは、地元の人や関わった人の意識が変わり、世界観が広がることだと思う。越後妻有でも、民家が5軒しかない集落の1軒がレストランに変わった。農家のお嫁さんが運営している。外から来た人と会って好奇心が芽生える。その関わりの中でそれぞれの世界が開かれていく」

 ―地域全体を舞台とした芸術祭を開催するための条件は。

 「行政の関与によって活動は持続可能になる。ただ実際はアーティストと行政は水と油みたいな関係にある。一般的に行政は決められたことをどう守っていくかが役割だが、過疎化していく地域ではサイズに合わせてルールを見直す必要が出てきている。そこにアーティストが問題提起をする。双方に摩擦が生まれ、作家の提案に対し『規則だからできません』といった押し返しも起きる。だが、コミュニケーションを通して対立を乗り越えていく中で生まれるものがある」

荒々しい波が打ち付ける石川県珠洲市の海岸=10月1日

 ―珠洲市役所には理解者がいたのか。

 「いた。泉谷満寿裕市長も現場のスタッフも理解がある。もともとは地元の商工会議所の熱意で始まった。鉄道が廃線になって、原発誘致の話も立ち消えとなり、何に展望を見いだすのかという局面で、商工会議所の意識の高い人たちが2012年に越後妻有の芸術祭を視察した。自分たちの地域でもやりたいと、翌2013年に(芸術祭を統括する)北川フラム氏を訪ねてきた。アートディレクターの北川氏は当時、新潟県と瀬戸内で芸術祭を手掛けており、手いっぱい。これ以上広げられないとお断りしたのだが、講演会だけでもと言われて北川氏が珠洲市を訪ねた。結果、土地が面白く何度も通うことに。商工会議所の方々が1年かけて地元の市議を全員説得し、珠洲市の協力も得て2017年に最初の奥能登国際芸術祭を開催することができた」

 ―芸術に理解を示さない首長もいる。

 「泉谷市長はリスクを取れる人だった。芸術祭を開くのは行政にとって大きなリスク。億円単位のお金を出して何が出来上がるか未知数の部分が多い。また芸術祭の先行地域に対し、三番煎じ、四番煎じになるという懸念もあったと思う。ところが、自分の発案ではなかった芸術祭なのに、結果的に市長が一番見て楽しんでいるように思う。アートや、アートをきっかけに生まれる関係を、自分の言葉で生き生きと話す。ただ経済効果を追い求めるだけではなく、先ほど話した副産物の価値を感じているのではないか」

 ―こうした芸術祭を日本各地に拡大する考えは。

 「僕自身にはない。そんなにやれない。珠洲市との関わりだって計7年に及んでいる。越後妻有には(運営のために)12年住んだ。僕自身は手いっぱい。一方で人数をかけて組織的にやろうとすると別の論理が働く。ノウハウの提供を求められても返答に困ると思う。関係者をまとめるのは本当に大変。自分で言うのも変だけど、芸みたいなもの(笑)。どう媒介になれるか。自分で終わっちゃだめというか、次に関わる人、次にやってくる作家のために、常に開口部を持っていたい」

クジラにまつわる伝説に着想を得た作品の脇に立つ関口正洋さん=10月1日、石川県珠洲市

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 せきぐち まさひろ 1974年生まれ。横浜市出身。東大医学部卒。96年、オリックス入社。99年、北川フラム氏が代表を務めるアートフロントギャラリー(東京)に転じ、2003年から新潟県の越後妻有に移住。文化施設の企画および運営に携わり、地域づくりのNPO法人を立ち上げる。14年から奥能登国際芸術祭プロジェクトマネージャー。

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