G.D.FLICKERS - 結成35周年記念アルバム『堕天使のように』で魅せる軽くて深いロックンロールの真髄と醍醐味

この世とあの世をつなぐ“桃色の雲”

──何はともあれ、去年の10月30日を始まりとした35周年モードの期間内に作品を発表することができて良かったです。

JOE:ギリギリね。バンドのオフィシャルサイトではすでに先行販売してるものの、一般発売はこれからだから間に合ったんだか間に合ってないんだか微妙だけど(笑)。理想としては去年の10月30日に何らかの作品を出せれば良かったんだろうけど、まあオリンピックも延びたことだしと事務所のシャッチョ(ピーシーズの柳沼宏孝)が言うので。

──このコロナ禍でも前向きな歌詞を書きたい、現状をただ批判するだけの歌詞にはしたくないと去年のインタビューで語っていましたが、歌詞作りはやはり難産でしたか。

JOE:いざ書き始めたらそうでもなかった。それに「桃色の雲に」と「水槽のサカナ」は3年くらい前にライブでやったことのある曲だったし。その2曲は今回のアルバムに入れようとアレンジを変えたんだけど、もっとテンポが速くてサイズも長かった「水槽のサカナ」はアレンジするうちに歌詞が半分くらいになっちゃってさ。そうやって短くなった分、練り直して言葉を変えたりして完成させた。

──「水槽のサカナ」は外出行動を自粛せざるを得ないコロナ禍の現状を主題にした歌詞にも思えるし、まるで時代のほうから曲にリンクしてきたみたいですね。

JOE:面白いね。一昨年、新曲としてライブでやった曲なのに。

──アルバムタイトルにもなっている「堕天使のように」ではなく、3年前から存在していた「桃色の雲に」を1曲目に据えたのは意表を突く構成と言えるのでは?

JOE:曲が全部出揃ってみんなで曲順を決めたんだけど、俺は「堕天使のように」で始まるのがいいんじゃないかと最初は思ったんだよ。でも今までにない流れだし、結果的にこれで良かったと思う。

──“桃色の雲”とは何ものかの象徴、何かの暗示なのでしょうか。

JOE:それは聴いてくれた人がどう受け止めてもいいことなんだけど……俺の中ではこの世とあの世の狭間にあるものっていうか、志半ばで俺たちより先に逝っちゃった奴らのことを歌にしたかった。4年前の5月から6月にかけて、The STRUMMERSの岩田(美生)、ロフトのシゲ(小林茂明)、亜無亜危異のマリ(逸見泰成)と近しい人が立て続けに亡くなってさ。その後に「桃色の雲に」の歌詞の原型を書いたんだけど、いろいろ調べたら仏教の世界では死者が極楽浄土へ辿り着くまでに桃色の雲を越えていくみたいでね。俺たちももういい歳だし、終活じゃないけど人生の終わりに向かいつつあるイメージで書いた歌。まあ、桃色の雲の向こうと言っても俺が行き着くのは地獄かもしれないけど(笑)。

──悪魔に極楽浄土は似合いませんからね(笑)。歌詞に出てくる“石積の塔”は裏ジャケットのイラストにも描かれていますが、JOEさんがネパールやカンボジアなどで何度か目にした経験からイメージを湧かせたそうですね。

JOE:うん。東南アジアとかいろんな国で石積の塔を見てきたんだけど、ネパールやブータンだと山の上にあるんだよね。この旅が無事に終わるように祈るためのものだったりして。

──日本にも五輪塔のような供養塔が各地にありますよね。石造美術の側面もあるんでしょうけど、基本的には死者や祖先を供養するために建てられたもので。そんな所に、埃まみれのいつかの期待は置いてきたという意味深な歌詞ですね。

JOE:叶わなかった自分の夢は石積の塔に置いてきたっていうかさ。歌だからどう取ってもらっても構わないんだけど、石積の塔に自分も含めていろんな人たちの思いが積み重なっているというニュアンスかな。死ぬことや人生の終わりが近づくことは俺の中で決して悲しいことでも寂しいことでもないし、「桃色の雲に」は残された時間にやれることを精一杯やろうって歌だね。

──「残された坂道を残酷に走り抜けろ」と自身に発破をかけるように。

JOE:その坂道も、世代によって受け止め方が違うはずだよ。若い世代ならそれを上り坂と感じる人が多いだろうけど、俺みたいなジジイは下り坂一本だから(笑)。だけどその下り坂をフルスピードで駆け抜けてやるぜ! ってことなわけ。捉え方は上りでも下りでもどっちでもいいんだけどね。

──それにしても『堕天使のように』とは言い得て妙なタイトルですね。キリスト教の教理では悪魔は堕落した天使のことを指すそうですし、前作が『悪魔』というアルバムだったG.D.にはうってつけの言葉だなと思って。

JOE:それこそ『悪魔』を作ってるときから“堕天使”という言葉が頭の片隅にあった。俺は別にキリスト教信者でもユダヤ教信者でもないけど、天地創造にまつわる逸話、世界各地で語り継がれてきた神話や伝説に興味があってさ。神が善をなすためには悪魔という存在が不可欠で、神に仕える天使の中でも特に優秀なルシファーという大天使が神と対立して天から追放される。地上まで堕ちた天使は人間になり、さらに深く堕ちた天使は悪魔になる。天使が堕落した理由として、神よりも優れた力があるんじゃないかという驕りから味方の天使を集めて神に刃向かったとか、神が天使よりも人間に愛情を注いだことで嫉妬したからとか、自由な意思を持って反旗を翻したとかいろんな説があるんだけど。つまり堕天使とは神に逆らって悪魔に堕ちた天使のことで、前作で悪魔をテーマにしたから今回は堕天使のことを唄ってみたかった。次の作品では天使をテーマにしたいと思ってるし。

──なるほど。悪魔、堕天使、天使という三部作の構想があると。

JOE:うん。それは『悪魔』を作ってるときから考えてた。

俺たちはもう一度“知恵の実”を食べたほうがいい

──「堕天使のように」は神(=権威)のルールにはやすやすと乗らず、常に自由な意思を持った反逆者であり続けたいというJOEさんのスタンスを提示した歌のように感じましたが、一方では驕り高ぶり地に堕ちた現代人への揶揄にも取れたんですよね。欲にまみれて大切な何かを忘れてしまった人間に向けた痛烈なカウンターパンチというか。

JOE:そういう皮肉は込めたつもりだけど、どう取ってもらっても構わない。パッと読んでも何のこっちゃいみたいな歌詞だと思うんだ、「堕天使のように」は。何が言いたいのかよく分からないだろうし。でもそれでいいし、正解なんてないからね。

──神、天使、悪魔の相互関係に以前から関心があったんですか。

JOE:そういうわけじゃないけど、世界が対立するのは宗教が根幹にあるからでしょ? それに比べて日本は神の国のはずなのに無宗教だと言われるし、多神教でごっちゃになってて、宗教に対する意識がわりとラフだよね。でも海外を旅して痛感するのは、宗教を生活の軸にして暮らす人たちがいかに多いかってことなんだよ。イスラム教も原理主義の一部の連中だけが過激な行動にのめり込んでるだけで、それ以外の人たちは熱心に信仰する穏やかな人たちなわけで。そうやって世界の大半が宗教を軸に動いているのを見て、自分でも本を読んだりいろいろと調べるようになった。一昨年はギリシャへ行って、神話に登場する神殿や遺跡を巡ったりもしたしね。

──神話というか、旧約聖書の『創世記』に出てくる“知恵の実”が「堕天使のように」の歌詞にもありますね。

JOE:『創世記』ではアダムとイヴが蛇にそそのかされて禁断の“知恵の実”を食べてしまうんだけど、その蛇が実はルシファーという堕天使の化身だったんだよね。神様が土の塊からアダムを作り、アダムの肋骨からイヴを作り、その2人の世話をしろと神様から天使長だったルシファーに命令が下った。でも自分みたいによくできた天使がなぜ泥人形や肋骨ごときの世話を見なくちゃいけないんだ!? ってことでルシファーは神様に反抗心を抱き、こっそり蛇に変身してアダムとイヴをそそのかして“知恵の実”を食べさせる。それでアダムとイヴは自分たちの裸の姿を恥ずかしいと思い始めてイチジクの葉で陰部を隠すようになるんだけど、それを知った神様はアダムとイヴをエデンの園から追放してしまう。食べると不死になるという生命の木の実まで食べられちゃかなわないってことでさ。そういう話を知ると、俺たち人間はもう一度“知恵の実”を食べて恥を知ったほうがいいんじゃないかと思うわけ。

──なるほど。続く「スパイ大作戦」はJOEさんの批評性と諧謔精神が健在なのを知らしめる一曲で。狐と狸の化かし合いというか、スマホ一つで簡単に誰かを陥れたり、互いを監視し合うイヤな世の中になってしまった現代を腐す歌詞が痛快ですね。

JOE:昔みたいに本を読んだり、ちゃんとした文献に当たることもなく合ってるかどうかも分からない答えを何でも簡単に導き出せちゃう世の中、それに振り回されてる人たちに対する猜疑心っていうのかな。デマやフェイクニュースが横行するネット社会だからこそ自分なりの見極めが大事なんじゃないの? っていうさ。俺の好きな劇団のある芝居を観て、それが探偵ものでね。探偵が乗る自転車のハンドルに風ぐるまが付いてて、それが止まらないように走るみたいな話だったんだけど、そこから「あんたの風車はアッと言う間に壊れて落ちるだろう」という歌詞が浮かんだわけ。それにGoogleのアイコンって風車っぽいじゃない? 検索エンジンもプロペラみたいっていうか。そこにも引っ掛けてあるんだよね。

──「スパイ大作戦」はディランの「Like a Rolling Stone」を彷彿とさせる曲調とアレンジ、ボ・ディドリー的ジャングルビートに乗せたブリッジも新鮮ですね。

JOE:原(敬二)君が作ってきた元の曲調から二転三転したんだよ。もっとロックっぽくしようとか何度もアレンジを変えたんだけど、どうもしっくりこなくてね。結局、大きく言えばフォークっぽかった大元に近い形に収まったんだけどさ。

──ここまで来ても従来のG.D.らしいシンプルな3コードのロックンロールが出てこないのが目新しいと思うんですよ。「桃色の雲に」から「水槽のサカナ」までずっとミディアムテンポの骨太なナンバーが続くじゃないですか。あえてそうした狙いもあったんですか。

JOE:パンクに感化された世代なので、唄うには速いテンポのほうが安心するんだけどね。でもこういうコロナ禍だからなのか、いろんなアーティストがミドルテンポの曲を多く出してるみたいでさ。家にいて音楽をゆっくり聴きたいから速い曲調を求めてないというニュースを見て、ウチもそこに乗っかったろかと思って(笑)。とはいえ今回もアルバムの最後のほうでG.D.らしさが出てると思うし、テンポがどうであろうと自分たちの持ち味にこだわらず、先入観なしで聴いてほしい思いもあった。

──四面楚歌の状況を唄った「水槽のサカナ」では“魔法陣”という言葉がキーワードになっていますね。魔法使いが魔術を用いる際に儀式の一環として地上に描く模様のことですが。

JOE:“魔法陣”は子どもの頃、水木しげるの『悪魔くん』を読んで知った。魔法陣の中で呪文を唱えると悪魔が現れたり願いが叶ったりするっていう。たとえどこかに閉じ込められても自分だけの魔法陣、自分だけの場所を思い描けば何かできることがあるんじゃないか、出口がないのなら視点を変えてここを入口にしてしまえばいいんじゃないかっていう歌だね。もっと長い歌詞だったときは水槽の中と外の視点の違いを唄ってたんだよ。自分が水槽というガラスに囲まれたサカナだとして、こっちからもそっちを見てるんだよっていうかさ。そっちは人間のつもりでこっちを囲った気でいるけど、もしかしたらこっちよりも大きい水槽の中にいる同じサカナかもしれないよ? っていう。見られる側も見る側も実は同じ立場で水槽の中をぐるぐる回ってるイメージだね。

小細工なしのロックンロールをやるためのカバー

──JOEさんの作詞、原さんの作曲というソングライティングチームは本作でも不変ですが、どんなやり取りを重ねて完成に至るのでしょう。いわゆる曲先なんですよね?

JOE:うん、曲先。原君がいっぱい作ってくれた曲の中から俺が選ぶんだけど、作ってる本人は昔書いたあの曲に似てるとかに気づいてないわけ。自分では完全に新しい曲を作ってきたつもりで渡してくるんだけど、ちょっと冷静になって聴くと一部聴いたことのある曲だったりする。コード進行が似てたりね。あと、仮に10曲渡されるとして1曲目と5曲目が似てたりとか。そういうのは長年一緒にやってる俺だから分かることで、本人は全然違う曲だと思ってるんだよ(笑)。そうやってイメージが被らない曲を俺が選別していって、みんなでアレンジをしながら歌詞の乗りそうな曲をさらに選んでいく感じかな。今回で言えば俺が「空にキッスを」を選んだのはメンバーも意外に感じたと思う。AメロやBメロはともかく、サビにピンときたんだよ。元は原君がラララ…と適当に唄ってた曲なんだけど、サビにグッときたから「これはいける」と思った。少し手を加えればAメロやBメロももっと良くなると思って選んだわけ。

──原さんと(佐藤)博英さんのギターパートの棲み分けは自然に決まるものなんですか。

JOE:そこは長年培ってきた阿吽の呼吸があるんじゃない? 2人が細かい打ち合わせをしてるのは見たことないね。スタジオでセッションしながらお互いのパートが徐々に決まっていくんじゃないかな。

──そこにJOEさんが口を挟むことは?

JOE:ないね。特に何も言わない。そもそも何をやってるのかあまり理解できてないし(笑)。

──音作りやアレンジ面でJOEさんが「そこはもっとこんな感じにしてくれ」とか進言することはないんですか。ベースはもっと図太くラウドに、とか。

JOE:そういうことも言わないね。特に岡本(雅彦)のベースは全幅の信頼を置いて任せてあるから一切言わない。

──DEBUさんのドラムにも?

JOE:俺が何か言ったところで無視するから(笑)。他のメンバーの言うことは素直に聞くんだけどね。サウンドというかアレンジのことで一つ言うと、「堕天使のように」のイントロは単音のリフから入るでしょ? メロディに昭和っぽいイメージが俺の中であったので、博英に「イントロは井上堯之とか柳ジョージっぽく弾いてくれない?」とお願いしてみた。そんなことをたまに言うときもあるね。

──そういう伝え方で意思の疎通が図れるのは長年の付き合いと同世代の強みですね。

JOE:うん。長くバンドを続けてきた良さもあるだろうし、聴いてきた音楽も近いしね。

──今回は「走れルドルフ」(Run Rudolph Run)というチャック・ベリーのカバーが収録されていますが、ただでさえ収録曲数が少ないミニアルバムの中にカバーを入れれば当然のごとくオリジナル曲が減るわけですが、この采配にはどんな意図があったんですか。

JOE:純然たるロックンロールで歌詞の乗ったオリジナルも他にあったし、それを入れれば全曲オリジナルで揃えることもできたんだけど、岡本がカバーを入れたいと言い出してね。小細工なしのロックンロールをやるためにあえて簡単にできるロックンロールを選ぼうって。オリジナルだとどうしても小細工が入ってしまうから。

──簡単にできそうだけどプレイするには難しそうですね。

JOE:そういう曲をオリジナルで作るのはもっと難しいからね。

──それで選ばれたのがチャック・ベリーだったと。

JOE:自分たちとしてはチャック・ベリーをカバーしたつもりもなく、キース・リチャーズをカバーしたつもりでもなく、選択基準はあくまでも3コードでシンプルなロックンロールってことでね。いろんなアーティストがカバーした「Run Rudolph Run」のオリジナルが誰なのか、書いたのが誰なのかも俺は知らなかったし。クリスマスソングだからゴルペルの一種みたいな感じというか、教会とかでいっぱい演奏されてきた曲なんだろうね。俺はロッド・スチュワートの「Sweet Little Rock 'N' Roller」とかもいいかなと思ってたんだけど、博英が「Run Rudolph Run」にしようと提案してきて、岡本もそれがいいってことで決まってね。その時点で俺がすでに「Sweet Little Rock 'N' Roller」の訳詞を考えていたにもかかわらず(笑)。だけど「Run Rudolph Run」は構成がなかなか頭に入ってこなくてさ。シンプルなロックンロールだから構成もシンプルなはずなんだけど、Aメロとされる箇所がサビの途中から始まっているというか、Aメロもサビも全部同じコード進行なんだよ。歌のノリが違うだけで、ずっと同じコードの繰り返し。何度聴いてもどこを聴いても金太郎飴みたいで頭がこんがらがっちゃって、仕方なく英語の原詞にコードを書き記したら何とか謎が解け始めたね。

期待以上の効果を生んだうつみようこと伊東ミキオのゲスト参加

──「走れルドルフ」は何より原詞の世界観を壊すことなく膨らみを持たせたJOEさんの訳詞が素晴らしいし、ロックンロール詩人としての才が見事な日本語詞として結実していますね。

JOE:元の詞はシンプルで唄ってることも少ない上に、視点がサンタクロース中心なんだよね。サンタがトナカイのルドルフに走れ走れと急かせてる。俺の訳詞は逆の視点でトナカイを主人公にして、原詞のイメージを自分なりに膨らませた感じだね。

──原詞にはない独自の歌詞もありますしね。たとえば「来年こそいい年にするぞ!」とか。

JOE:まあこういうご時世だからね。そんな言葉を盛り込んでもいいかなと思って。

──それと「A little baby doll that can cry, sleep, drink, wet」を「人工知能の可愛い人形」と解釈していたり。

JOE:「泣いたり眠ったりおっぱい飲んでおねしょする小さな赤ちゃんの人形が欲しい」っていうのが原詞なんだよね。それを今どきにアップデートしたというか。

──「こりゃ大変だと五番街へ戻る」という原詞もどこにもないですしね(笑)。

JOE:うん(笑)。あと、俺の訳詞に出てくる“クラリス”も原詞にはないんだよ。ルドルフの恋人のトナカイがクラリスで、『赤鼻のトナカイ』の物語には出てくるんだけどね。

──カバーをやっても結局G.D.らしい曲になるという意味では、岡本さんの提案が的を得ていたことになりますね。

JOE:俺が嬉しかったのは、自分なりに書いた訳詞が著作権の所有者に認めてもらえたことなんだよ。俺が訳した歌詞をアメリカの権利者に念のため確認してもらわなくちゃいけなくて、日本語のままだと向こうが分からないから日本語の訳詞をさらに英語にして送ってもらったわけ。今回、出版で協力してくれたフジパシフィックミュージックを通じてね。その俺の訳詞を英訳してくれた人がフジパシの担当に「この日本語の訳詞は素晴らしい」と言ってくれたみたいでさ。その人の英訳もきっとこちらの意図を汲んでくれたと思うんだけど、曲の権利者にも無事OKをもらえてね。自分の才能がアメリカに認められたみたいで嬉しかったよ(笑)。今回は録りより何よりその権利関係の確認に一番時間がかかったから余計に嬉しかった。

──最後の「空にキッスを」には伊東ミキオさん(ピアノ)とうつみようこさん(コーラス)がゲスト参加していますが、鍵盤とホーンとパーカッションのサポートメンバーを入れた昨年の35周年記念ライブのように、自分たち以外のプレイヤーとのセッションを楽しみたかったがゆえの起用だったんでしょうか。

JOE:俺の中ではそういう考えがあったね。それでピアノとコーラスを入れたいと岡本に言ったら「いいんじゃない?」と。せっかくコーラスを入れるならパンチのある女性コーラスがいい、ローリング・ストーンズで言えばリサ・フィッシャーみたいなコーラスが欲しいと考えて、これはもううつみ師匠以外に考えられないと思ってね。

──G.D.とメスカリン・ドライヴはかつて共演したこともあったんですか。

JOE:大昔にイベントで一緒だったことがあると思うんだけど、うつみ師匠とは何年か前に九州のイベントでセッションをしたことがある程度で、そんなに親しい感じでもなかった。それどころか俺やG.D.の存在を警戒していた節がある(笑)。共通の知り合いがCHERRY-BOMB(JOEがマスターを務める高円寺のバー)へ行こうと誘っても「あんな恐ろしい所、絶対に行かれへんわ!」って言ってたみたいだし(笑)。だから今回のコーラス参加のお願いをしようかどうか迷ったけど、たまたまSNSで繋がっていたのでメッセージを送って「どうでしょう?」と連絡したら快く引き受けてくれたんだよね。

──鍵盤は最初からミキオさんしかいないと考えていたんですか。

JOE:そうだね。彼は今まで何度もウチのレコーディングに参加してくれてるし、35周年記念アルバムを謳うのならぜひミキオに参加してもらいたくてね。

──ミキオさんに求めたのはラグタイムっぽい感じというか、ホンキートンクみたいなニュアンスですよね?

JOE:うん、まさに。ブルースでもあり、ロックンロールでもありみたいな跳ねた感じ。そっち系のピアノを弾いてグッとくるのは俺の知り合いでミキオが一番だから。今回、うつみ師匠もミキオも俺の想像を超えた力を発揮してくれて嬉しかった。特にうつみ師匠は凄かったね。基本的にコーラスはサビだけと伝えてあったんだけど、事前に考えてきてくれたいろんなコーラスのパターンをその場でどんどん入れてきて、思わず「ここはアメリカなの?」って勘違いしそうだった(笑)。

──サビに入るまでもうつみさんのコーラスがだいぶフィーチャーされていますよね。

JOE:結果的にそのほうが良かったからね。俺としては「明日はまた晴れる」というフレーズの後に「ハレルヤ」というコーラスを入れてほしいとか考えてたくらいで、他の部分では何も言わなかったんだけど。あれでもだいぶコーラスを削ったんだよ。全部残したら俺の立場がなくなるくらいだったので(笑)。終盤で俺とうつみ師匠が“KISS the SKY”と掛け合いで唄うところがあるけど、うつみ師匠は4パターンくらい連続で入れたんだよ。でも彼女のコーラスで終わるとどっちが主役か分からないってことで(笑)、最後の“KISS the SKY”は俺にしようと後から入れたの。

──歌の終わりはうつみさんではなかったものの、演奏の最後はミキオさんのピアノで終わりますよね。

JOE:あのピアノも実はだいぶ削って、ミキオはずっと弾き続けていたんだよ。

──ゲストのピアノの音と余韻で記念すべき35周年記念アルバムが終わるというのも、大人というのか大胆というのか…(笑)。

JOE:あまりそういうこだわりもなかったし、あの終わり方がメンバーの総意だったしね。格好いいのが録れた満足感しかなかったしさ。

俺たちのやりたいロックンロールを堂々とやれば俺たちらしくなる

──「空にキッスを」は巧者揃いのセッションなのにあっさり終わるのがいいし、そのさりげなさに熟練者の余裕を感じるんですよね。それは今回のアルバム全体の作りにも言えて、どの曲もパンチはあれどトゥーマッチではないし、程良くあっさりで小気味良さがあるからこそ何度も繰り返し聴けるのだと思います。もっと他の曲も聴いてみたいと感じるところで終わるのが功を奏しているというか。

JOE:結果的にこの長さで今回は良かったと思ってる。もうちょっと聴きたいと思ってもらえるのは物足りないわけじゃなく、むしろこの6曲でちゃんと成り立ったアルバムだからというか、1曲ごとの個性がしっかり届いているからだと思う。これ以上曲を増やしていろいろやるととっ散らかるだろうし、このサイズでちょうど良かったよ。

──ミュージックビデオを「桃色の雲に」にしたのはJOEさんの判断だったんですか。

JOE:そういうわけでもなくて、映像を撮ったのが3月くらいでね。その時点ではまだレコーディングをしてなくて、詞と曲が90%以上出来上がってるのが「桃色の雲に」しかなかったんだよ。先方からミュージックビデオを撮らせてくれと言われたときに形として一番まとまっていたのが「桃色の雲に」だったってだけで。だから撮影したときはスタジオで録った練習の音に合わせて動いて、その後のレコーディングでもテンポとアレンジを一切変えなかったわけ。まあ、実はギターソロは違ってるんだけどね。映像では分からないようになってるけど。

──歌詞を大胆にフィーチャーした作りは髙原秀和監督の意向だったんですか。

JOE:あれは俺がそうしたくてね。Adoの「うっせぇわ」とか昨今はリリックビデオが増えてきたし、見ていて面白いじゃない? それで後から歌詞を足してくれと監督にお願いしてみた。

──ミュージックビデオでも歌詞に重きを置いているのが象徴的ですが、近年は平易な言葉で深みのある歌詞を作るJOEさんの作風が以前に増して強まってきたように感じますね。

JOE:否が応でも歳を重ねるわけだから、前より大人っぽい歌詞を書きたい気持ちはあるよね。今回はステイホームで時間が多少あったし、出来上がった歌詞を何度も推敲することができたのが良かった。「スパイ大作戦」なんて自分としてはこれで完成と思った後でもまたどんどん変えていったし。いざ唄ってみたら変えたくなるところがあったりしたので。

──たとえば「空にキッスを」の「この時間は俺たちを試してる」「この時間は無駄じゃない」という至言に辿り着くまでに何度も言葉を書いては捨て、研鑽を積む作業を繰り返してきたと思うんです。極限まで引き算したがゆえにシンプルで力強い言葉だけが残ったように感じるのですが。

JOE:パッと思いついたことをそのまま書いただけではないよね。今回は特に緻密に歌詞を組み立てたつもりだし。まあそれはさておきで、最後に「空にキッスを」を聴いてくれた人には前向きになってもらえたらいいなと思うね。あれは俺なりに「上を向いて歩こう」を意識して書いた曲だから。この1年半、みんながみんな以前とは違う生活スタイルを余儀なくされて、どんな職種の人でも仕方なく国や行政機関の言うことに従わなくちゃいけないことがいっぱいあったと思うんだ。個々人の自由も奪われて、最初の緊急事態宣言のときは特に街からすっかり人が消えてさ。そうやって世界中を脅かすウイルスが蔓延したとしても、空だけはずっと変わらずそこにあるんだよ。太陽や月は等しく俺たちを照らすし、空や自然はタフだなとつくづく思う。だから俺たちも下を向くより上を向いていたほうがいい。そんなことを歌詞にしたいと考えていた頃、ショッピングモールをたまたま歩いていたら“KISS the SKY”と書いてあるTシャツを見つけてね。シンプルだけど格好いい言葉だなと思ってさ。そこから広げて歌詞を書こうと思って完成させたのが「空にキッスを」だった。

──バンドや店を持続させるのもこのご時世では大変な苦労が伴うはずですが、そんな状況でも「この時間は俺たちを試してる」と唄えるJOEさんもだいぶタフですよね。

JOE:俺は昔からタフだよ。悩まないし、迷わないし。ちょっと能天気なのがいいんじゃないの?(笑) 歌詞に関して言えば、文句タラタラみたいな不満だけを唄う歌は昔に比べて減ったと思うし(笑)、今は聴いてくれる人が少しでも共感してくれる歌を作りたいんだよ。もちろん所々に見えない棘や毒をまぶせてはいるけどね。

──本作で言えば「スパイ大作戦」みたいな歌には刺激的なスパイスが随所にまぶされていますね。

JOE:「スパイ大作戦」で俺の言いたいことは別にあるんだけど、正体を晒さない騙し合いを決して否定もしてないわけ。そこに良いも悪いもなくて、あまり夢中になってると痛い目に遭うかもよ? くらいの話なの。

──なるほど。今の創作意欲と作業ペースを維持していただきつつ、三部作の完結編を早く聴きたいものです。

JOE:個人的には次もミニがいいかなと思ってるんだよね。すぐに取り掛かりたいし、なるべく早く出したいから。メンバーの誰かがくたばる前にね(笑)。三部作を無事作り終えたら、いつまでできるか分からないけどじっくり吟味したフルアルバムを1枚出せたらいいなと思う。今はワクチン接種率が上がってコロナの新規感染者数が急激に減ってきてるし、できれば早めにミニアルバムを出して、それを持っていろんな街のライブハウスへ行きたいね。もちろんまだ予断を許さない状況だけど、もしコロナがこのまま落ち着くようであればさ。今はまた原君がどんどん曲を書いてるし、俺もまだ歌詞を書いて唄いたいし、周りの誤解や偏見も減ってきたのでバンドがやりやすくなったしね。

──誤解や偏見が未だあるものですか。

JOE:何も知らない人はヴィジュアル系だったんでしょ? とか言うし、聴いたこともない人にはハードロックでしょ? とかヘヴィメタだったんでしょ? とかよく言われたよ。でもこれだけ長くバンドをやっていれば、分かってくれてる人たちに分かってもらえれば俺はそれで良くて、みんなG.D.のことをロックンロールバンドだと認識してくれてるし、特にここ10年くらいでやっと安心してバンドができるようになった。周りの誤解が減った分だけね。だから俺たちのやりたいロックンロールを堂々とやれば俺たちらしくなるし、気負うことなく俺たちのロックンロールをやれるのが今は楽しい。その楽しさやこだわりを伝えるのが俺たちの存在価値なんだろうね。

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