〈新人激突の軌跡 上越市長選、市議補選〉③野澤氏 有志の輪に組織力 〝色付け〟見方に苦慮

 41年間、上越市役所で働いた野澤朗氏(64)は5月21日に副市長を辞職し、6月6日に市長選に出馬を正式表明した。長年の行政経験を基に、「私自身が市長になりたいから」と自身の発起であることを強調。「新しい上越市へ」を掲げ、「対話」と「納得」、14市町村合併から16年余りを経た上越市の「バランスの良い成長」などをテーマに挙げた。

選挙戦最終日、出身地の直江津で集まった人や行き交う車に手を振る野澤氏。傍らには支援市議らが並んだ(10月30日、直江津駅前)

 出馬会見の時、野澤氏の横にはNPOや市民団体の関係者、市に移住し起業した人らが同席した。「上越の未来創造実践会議」を立ち上げ、市民有志らと語り合う中で、施策の方向性を固めていく意向を示した。

 ただ、当初から「知名度不足」(野澤氏陣営)が指摘されていた。昨年7月に出馬表明し、前回選挙を経験している中川幹太氏(46)と比べ、浸透度や活動の遅れも明らかだった。「強敵」に対するため、市議による支援議員団(最終的には24人)の応援を受け、「票の取りやすい」(野澤氏陣営)自民党など政党に推薦を依頼。企業や団体などにも支援を求めた。

 衆議院の解散総選挙が同時期に予定されており、衆院選の候補予定者とも相似した立場を有権者に連想させた。「保守系ではあるけども自民党候補ではない」と説明した選対の前川秀樹幹事長は選挙戦最終日の街頭演説で、「同日選は野澤陣営にはマイナス。友人に電話したら、自民党でしょと言われた。市長選は皆さんのトップリーダーを決める人物を選ぶはずだが、残念ながら自民党対野党と色付けされてしまう」と嘆きを吐露した。

 開票結果が出た会場で、野澤氏は「組織対草の根とか、保守対革新とか、若さ対実績とか、そういう形での表現、見方に違和感を感じながら戦ってきた。最後の3日間に30代、40代の方がフェイスブックで個人的な意見を明らかにし、いろいろな動きが出てきたことは私自身の活動の集大成と思っている」と表し、報道陣から敗因を問われ「知名度は言われてきたが、それを理由にすると、選挙制度にも及ぶし、素直に私の主張が市民に届かなかったということ」と潔く話した。

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