「諦めなければ可能性はある」 高校退学者が社会人侍ジャパン4番になれた背景

関メディベースボール学院・井戸伸年総監督【写真提供:関メディベースボール学院】

「関メディベースボール学院」の指導者にはダルやマー君を育てた名コーチ

一度、失敗したら終わりではない。兵庫県のクラブチーム「関メディベースボール学院」は、プロ野球界でも有数のコーチを招くなど独自の指導方針で、うまく環境に適合できなかった選手や、怪我に苦しんだ選手を次のステージへと送り出している。卒業生には、侍ジャパン社会人代表で4番を務めた選手もいる。

指導者の顔ぶれを見ると、指導や育成の本気度が伝わってくる。投手コーチは阪急とオリックスで通算165勝を挙げ、引退後はコーチとしてダルビッシュ有投手や田中将大投手を育てた佐藤義則氏。守備コーチには、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表でもコーチを務めた高代延博氏が就いている。総監督の元近鉄・井戸伸年氏はチームの特徴や目的を、こう説明する。

「高校で実績のある選手は、大学でプレーする場所がある。それ以外の選手が輝ける場所をつくっていきたい。そのために、コーチ陣を厚くして育成に重点を置いている」

兵庫県西宮市にある関メディベースボール学院は、高校時代に怪我で力を発揮できなかった選手や、出場機会に恵まれなかった選手たちの受け皿となり、大学や社会人で活躍できるよう指導している。チームは日本野球連盟に加盟する社会人クラブで、年間100試合ほどの練習試合のうち約50試合が社会人チームと対戦する。直接アピールする場があることも、社会人の強豪に加入できる要因となっている。

今年はNPB球団と6試合の交流戦を行うなど、選手たちが実力を示す舞台も年々広がっている。井戸総監督は「先を見据えたマネジメントをするのが大事。選手の長所を活かすのが組織や指導者の役割だと思います。理解力があって、技術も高い“エリート”と言われる選手の指導より苦労は多いかもしれませんが、私たち指導者の引き出しは増える」と語る。

象徴的な卒業生となっているのが、現在社会人野球の強豪・日本製鉄鹿島に所属している高畠裕平外野手だ。甲子園出場を目指して徳島の名門・鳴門工に入学したが、病気がきっかけで野球をあきらめ退学した。しかし、高校2年生の時に関メディベースボール学院に入り、提携している高校の通信制で勉強しながら、再びバットを握った。その後、日体大に進んで、日本製鉄鹿島へ。社会人の侍ジャパンに選出され、4番に座るほどの存在となっている。

「あきらめなければ必ず可能性はある。自分で道をつくっていけるかどうか」と井戸総監督。一度は野球を断念したとしても、再び脚光を浴びるチャンスはある。関メディベースボール学院の選手や卒業生が証明している。(記事提供:First-Pitch編集部)

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