第34回 「いま使えるたとえ」

煩悩放出 〜せきしろの考えたこと〜

第22回のコラムでもう使えないたとえについて書いたが、今回は使えるたとえについてである。

今最も使えるたとえといえばなにかご存知だろうか? そう、

高嶋ちさ子の子どものDSのように

である。 2015年、バイオリニストの高嶋ちさ子さんが、平日はゲームをしてはいけないルールを守らなかったために息子のDSを折るという出来事があった。それをたとえにしたものである。 このたとえは汎用性が高い。数多くの状況をたとえることができるのだ。 たとえば「割れる」。 この状況をたとえてみよう。 高嶋ちさ子の子どものDSのように皿が割れた 高嶋ちさ子の子どものDSのようにモーゼが海を割った 高嶋ちさ子の子どものDSのように割れた桃から元気な子どもが飛び出してきた 高嶋ちさ子の子どものDSのように割れた割れ煎餅 このように皿が割れるという日常的なことからファンタジー、そしてお煎餅まで、割れた様子をたとえることができるのだ。 もちろん、汎用性が高さを証明するように他のものもたとえることができる。

折れる

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように桜の枝が折れた

別れる

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように別れた二人

分離する

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのようにドレッシングが分離した

戻らない

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように二人の仲はもう戻らない

諸行無常

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように諸行無常だ

悲惨

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように悲惨な事故現場

絶望

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように絶望しかない

散らばっている

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように落ち葉が散らばっている

動かない

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように動かなくなった愛車

壊れる

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように心が壊れる

断片的

(例)高嶋ちさ子の子どものDSのように断片的に記憶が蘇った 皆さんも是非積極的に使ってもらいたい。 もちろん使わなくても良い。

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