バルセロナの下部組織で育成され、アーセナルやチェルシーでも活躍したセスク・ファブレガス。
世界最高のパサーとして中盤に君臨した彼は、『CBS Sports』のインタビューでこんな話をしていた。
セスク・ファブレガス
「全ての中心として、ゲームを違う角度で見ている。
ウィング、サイドバック、センターバック、GKとは違う。ピッチを別の角度から見る。
中盤では周囲を囲まれているから、常に全体像を見る必要がある。
僕は他の選手よりも速く試合を分析しようとしてきた。
僕は強くも速くもないし、フィジカルでもないからね。だから、常に試合の別の面で他者より優れていなければならなかった。
常にスマートになり、頭の回転を速くしようとしてきたんだ」
「アントニオ(コンテ監督)は、僕が出会った最初の人だったと思う。(自分がやりたいことを)はっきりと分かっている…まるで学校に通っているようだったよ。
断言していい、彼は教えてくれる。GKからゴールを決めるまるに何をするべきか、その全てをね。
それは僕のサッカー観とは違うかもしれない。誤解して欲しくないけれど、最初は自分にとって難しいものだった。
かなり走るし、インテンシティも高い。ビッグセッション、ダブルセッション、ジムセッション。
僕は常に自分のクオリティとビジョンをもとにやってきた。自分が危険だと思う場所、相手を痛めつけることができると思う場所にパスを出していた。
ポゼッションゲームが多いペップのような監督ともやってきたけれど、そのなかでの自由は得ていた。
コンテのもとでは、自由は存在しない。彼はどこにパスを出さなければいけないかを教える。
当時の僕は29歳だった。すでに13年もプレーして、多くの決勝戦でプレーし、多くを勝ちとってきたのに、どこにボールを出さなければいけないかを教えてくる」
「完璧なマシーンのようだったよ。自由はないけれど、誰もが自分がやらなければいけないことを分かっている。
それが僕をすごく助けてくれた。例えば、自分がアシストやいいパスを出したい場合、(一緒にプレーするチームメイト)次第のこともあった。
僕が一緒にプレーするのが大好きなペドロは、(相手の)裏に走り込む。彼とのプレーは大好きなんだ。
あのチェルシーには多くのペドロたちがいた。どう走るのか、いつ走るのかを、コンテがきっちりと教え込んだからね。
ウィリアンはたくさん走るようになった。ミシ・バチュアイやジエゴ・コスタもね。足元でプレーしたがるエデン・アザールさえも裏に走り込んでいた。
マシーンは完璧に機能していたよ」
コンテ監督は、選手の感性や個性を排除したマシーンのようなプレースタイルを志向していたそう。