希代の点取り屋 大久保が引退 国見で才能開花

国見高で才能を開花させた大久保。主将だった田上さん(左)とともに主要タイトルを総なめにした=2001年1月、東京・国立競技場

 長崎から全国、世界へと羽ばたいた希代の点取り屋が引退を決意した。福岡県北九州出身の大久保は、Jリーガーになる夢をかなえるために中学から国見へサッカー留学。高校卒業までの6年間で類いまれな才能を開花させた。
 「勉強はダメでも、おまえは1パーセントでもプロになれる可能性がある。だから頑張ってみろ」
 小学校卒業を控え、親元を離れることをためらっていた12歳の大久保少年に、今は亡き父・克博さんはそう告げたという。一切の妥協を許してくれない父だった。
 「今思えばたったの1パーセント。だけど、俺も子どもだから『よし、なれるかもしれん』って。おかげでプロになれたし、素晴らしい恩師や仲間、今の家族にも出会うことができた」
 同級生の田上渉さん(39)=国見高コーチ=は小学4年時からの付き合い。一緒に北九州から国見中へ越境入学し、競うようにサッカー漬けの日々を送った。寝る間も惜しんで夜中に下宿を抜け出し、街灯の下で空き缶を蹴り合った日を今も鮮明に覚えている。
 「負けず嫌いで、どれだけすごい選手になっても偉ぶらない。あのころのまま最後まで突っ走ってくれた。当時と変わったのは、お金持ちになったことくらいかな」
 クラブから引退が発表される日、田上さんの携帯電話が鳴った。大久保本人からだった。
 「おまえならまだ現役でやれるんじゃないか」。その言葉をのみ込んで、田上さんはひと言だけ聞いた。
 「もう、スッキリしたのか」
 電話の主は、澄み切った声で答えた。
 「めちゃくちゃスッキリしてるよ」

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