「村上春樹を読む」(16)『1Q84』の青豆と『大菩薩峠』の青梅 甲州裏街道を舞台にした大長編との関係

全6巻で出版された文庫本の『1Q84』

 村上春樹の作品の中を「青」の色が貫通しています。そのことを『ねじまき鳥クロニクル』(1994年、95年)や『国境の南、太陽の西』(1992年)などを通して紹介してきましたが、今回のコラム「村上春樹を読む」では、最新長編である『1Q84』と「青」の関係について、考えてみたいと思います。

 なにしろ、『1Q84』の女主人公が「青豆」という名前ですから。

 この「青豆」の「青」は、村上春樹作品の中を貫通する「青」と、どのように関係しているのかということを少し考えてみたいのです。

 さて、今回もこのコラムがとても長いものになりそうなので、私なりの結論を先に記しておきますと、この『1Q84』という物語は、中里介山の大長編『大菩薩峠』と関係しているのではないかと、自分は考えています。そのことについて、今回、少し詳しく書いてみたいのです。

 『1Q84』と『大菩薩峠』。その直接の関係を示すものには、まず次のようなことがあります。『1Q84』の男の主人公「天吾」が、死の床にある父親を入院先の病院に訪れて、父の病室の本棚に並んだ本の背表紙を眺める場面が『1Q84』BOOK2にあるのですが、この場面に「その大半は時代小説だった。『大菩薩峠』も全巻揃っている」と記されているのです。

 『大菩薩峠』という巨大長編は、私が読んだ富士見書房文庫版でも全20巻、1995年から刊行された、ちくま文庫版も持っているのですが、これもやはり20巻という超大作です。つまり、その長い長い小説を主人公・天吾の父親が死の床で読んでいたのです。

 さらに『1Q84』BOOK3では、父親の死後、天吾が父の病室に案内されてみると「本棚には一冊の本もなく、それ以外の私物もすべてどこかに運び去られていた」というふうに、天吾の父親が読んでいた『大菩薩峠』も無くなっていることが、それとなく分かるように示唆されてもいるのです。

 「大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです」

 原稿用紙で計算したら1万5000枚という、この超大作『大菩薩峠』は、そのように書き出されています。

 その大菩薩峠は東に流れる多摩川と西に流れる笛吹川の分水嶺ですが、江戸を出て、八王子から小仏、笹子を越えて甲府に出る「それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分を右にとって往くことを十三里、武州青梅の宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります」と『大菩薩峠』の冒頭に記されており、さらに「青梅から十六里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠は、記録によれば、古代に日本武尊(やまとたけるのみこと)、中世に日蓮上人の遊跡があり…」と続いています。

 つまりこの中里介山『大菩薩峠』は甲州裏街道である青梅街道を舞台とする物語なのです。村上春樹の『1Q84』も、たんに天吾の父親の書棚に『大菩薩峠』が置かれていただけでなく、この中里介山の超大作に強く関係している物語なのではないだうかと、私は思っています。さらに主人公「青豆」の名前も「青梅街道」の「青梅」と関係して名付けられているのではないのかと、私は考えているのです。

 このことに関して、いくつかの具体的な例を挙げながら、私の考えを述べてみたいと思います。

 この『1Q84』で誰もが息をのんで読む場面は、オウム真理教の教祖・麻原彰晃をも思わせるようなリーダーという男を女殺し屋・青豆がホテルオークラで殺害する場面でしょう。章の数で言いますと、『1Q84』BOOK2の7章、9章、11章、13章、15章にわたって、青豆がリーダーに向かい、対決し、殺害するまでが描かれています。そのことに、計5章も費やしているのですから、いかに2人の対決が『1Q84』という作品にとって大切であるかということが理解できるかと思います。

 そして青豆が、リーダー殺害後、雷雨の中、タクシーで新宿西口に向かう場面があります。新宿西口は『ねじまき鳥クロニクル』で、父親の右の頬に青黒いあざがついていたというあの赤坂ナツメグと「僕」が出会った場所ですが、それはさておいて、青豆は新宿駅のコインロッカーに預けておいた旅行バッグとショルダーバッグを出して、その後に自分の逃走を助けてくれるタマルという男の指示を受けるため、電話をかけなくてはならないのです。

 その新宿に向かうタクシーの中でタクシーの運転手が「道路の水があふれて、地下鉄赤坂見附駅の構内に流れ込んで、線路が水浸しになったそうです」「銀座線と丸ノ内線が一時運転を中止しています。さっきラジオのニュースでそんなこと言っていました」と青豆に伝えます。

 そして、青豆はタマルからの指示が「新宿から丸ノ内線を使わなくてはならないものごとであれば、話はいくぶん面倒になるかもしれない」と思うのです。

 「丸ノ内線はまだ動き出していないのかしら?」と青豆はタクシーの運転手に質問しています。単行本で言うと、2ページの間に4回も「丸ノ内線」のことが繰り返し出てきます。

 そしてタマルからの指示は「高円寺の南口」にタクシーで向かうことでした。環七近くの「高円寺の南口」のマンションに隠れ家が用意されていたのです。

 さて、ここで重要なことは、青豆は、ほぼ間違いなく「青梅街道」を通って、「高円寺の南口」の隠れ家のマンションに向かったということです。私はちょうど30年前、社会部の事件記者時代に高円寺駅を含む杉並区、新宿駅がある新宿区、また中野区などを担当する記者でしたので、2年間ほど毎日のように、新宿駅、高円寺駅の近辺に行っていましたので、そのように思うのです。

 先日も新宿付近を拠点にしている親しいタクシーの運転手さんに「新宿西口からお客を乗せて、高円寺の南口へ行ってくれと言われたら、どのルートで行きますか?」と質問したら、その運転手さんも「それは、青梅街道ですね」と答えていました。

 つまりこの「高円寺の南口」は(地図を見てもらえば分かりますが)、あの大菩薩峠に通じる甲州裏街道・青梅街道沿いに位置しているのです。

 そして青豆があれほど気にしていた丸ノ内線も新宿―荻窪間は青梅街道の地下を走っています。

 紹介したように「新宿の追分を右にとって往くことを十三里、武州青梅の宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります」と『大菩薩峠』に記されているのですが、新宿という場所は、その大菩薩峠に通じる青梅街道の起点なのです。

 だからこそ、青豆はリーダーを殺害後、新宿に向かったのだと私は思っています。

 そして高円寺には、もう1人の主人公である「天吾」も住んでいるのです。

 『1Q84』という小説は、小学校の同級生だった青豆と天吾が、10歳の時、人影のない教室で手を強く握り合い、その後、別々の人生を歩んでいるのですが、2人とも他の人を愛したことがなく、その2人がついに再会するまでの長い長い物語です。

 その2人が再会する児童公園の滑り台のあるところも、やはり青梅街道沿いにあります。

         ☆

 さらに「天吾」と「青豆」と「青梅街道」の関係を具体的に挙げてみましょう。

 この『1Q84』に「ふかえり」という17歳の美少女作家が登場します。30歳である天吾は、塾の数学講師をしながら、小説家を目指しているのですが、その天吾がふかえりの『空気さなぎ』という小説をリライトして、ベストセラーになります。

 そのふかえりが天吾と一緒に、ふかえりを育ててくれた戎野先生という文化人類学者を訪ねる場面があります。2人は新宿駅から中央線に乗って、立川駅で、青梅線に乗り換えて、「二俣尾(ふたまたお)」という駅で降ります。

 青梅線は青梅街道沿いを走る電車ですが、『大菩薩峠』を書いた中里介山は青梅近くの東京都羽村市に明治18年(1885年)に生まれています。

 「二俣尾」は、青梅よりさらに先の駅ですが、そこから2人はタクシーに乗って、戎野先生の家に向かうのです。

 「戎野先生」は、ずいぶん前に研究生活とは縁を切った人ですが、1960年代には10歳ほど年下の、ふかえりの父親・深田保と長いあいだの親密な友だちでした。同じ大学、同じ学部で教えていて、性格や世界観は違いましたが、なぜか気があった仲だったのです。

 このふかえりの父親・深田保こそが、『1Q84』の中で青豆によって殺害されることになるリーダー、その人です。

 天吾は戎野先生から、ふかえりの父・深田保のことについていろいろ教えられて、帰ります。そして帰りはふかえりが一緒ではなく、1人電車に乗って戻ります。

 立川駅に出て、立川で中央線に乗り換えて帰るのですが、三鷹駅で、天吾の向かいに親子連れが座ります。

 こざっぱりとした身なりの母と娘で、娘は小学校の2年生か3年生ぐらいの目の大きな、顔立ちの良い女の子です。

 その母娘はシートに腰掛けたまま、終始黙り込んでいるのですが、娘は手持ちぶさたで、自分の靴や床を見たり、向かいに座っている天吾の顔をちらちら見たりしています。

 そしてその母子は荻窪駅で電車を降ります。母親が席を立つと、娘もすぐにそれに従って、素早く席を立ち、母親の後ろから電車を降りていきます。

 その娘が席を立つときに、もう一度ちらりと天吾の顔を見るのですが、「そこには何かを求めるような、何かを訴えるような、不思議な光が宿っていた。ほんの微かな光なのだが、それを見てとることが天吾にはできた」と村上春樹は書いています。さらに続けて「この女の子は何かの信号を発しているのだ。―天吾はそう感じた」とも加えています。

 そして「その少女の目は、天吾に一人の少女のことを思い出させた。彼が小学校の三年生と四年生の二年間、同じクラスにいた女の子だ。彼女もさっきの少女と同じような目をしていた。その目で天吾をじっと見つめていた。そして…」という文章とともに、「天吾」と「青豆」という『1Q84』の2人の主人公の出会いと関係が語られていくのです。

 さて、なぜ天吾は「何かを求めるような、何かを訴えるような、不思議な光が宿っていた」目を持った娘の視線と、自分の視線がクロスすると、大切な青豆のことを思い出すのでしょうか。

 私は、そこが「荻窪」だからなのだと思います。紹介したように、天吾が「二俣尾」からの帰途、中央線に乗り換えて帰ってくるのですが、青梅街道は「荻窪」で中央線とクロスしているのです。その「荻窪」で少女は「何かを求めるような、何かを訴えるような、不思議な光が宿っていた」視線で天吾をとらえるのです。

 青豆はリーダーを殺害後、「新宿」にタクシーで向かい、タマルの指示で「高円寺の南口」に向かいます。天吾はふかえりと一緒に、新宿駅から中央線で立川まで行き青梅線に乗り換えて「二俣尾」からタクシーで戎野先生を訪ね、その帰途、中央線の「荻窪」で降りた娘の視線を受け取ったことから、青豆のことを思い出していきます。『1Q84』を再読してみると分かりますが、この場面は天吾と青豆が、「荻窪」と同じ青梅街道沿いの土地「高円寺の南口」で再会することの予告の場面ともなっていると思います。

 『1Q84』の中で「荻窪」が非常に意識的に書かれていることをもう一つ指摘すれば、ふかえりと戎野先生の所に向かう往路で、天吾は中央線電車の中でうとうと眠ってしまうのですが、電車が「荻窪駅に停まりかけているところ」で、天吾は目を覚ましています。

 さて、これまでに紹介してきた「新宿」「高円寺南口」「荻窪」「青梅」「二俣尾」「大菩薩峠」は、それらはすべてが「青梅街道」という裏街道で一本につながっている土地なのです。

 その「青梅街道は、慶長八年、徳川家康が幕府を開いて江戸城を築くとき、西多摩郡の成木村(現在の青梅市成木)から出していた漆喰壁の材料を江戸に運ぶため、武蔵野台地を一直線に切り拓いて作った道」だと、井伏鱒二『荻窪風土記』にあります。

 それは『杉並区史探訪』(森泰樹著)からの紹介のようですが、前回の「村上春樹を読む」の中で『黒い雨』を紹介しながら触れた井伏鱒二も青梅街道からすぐ近くの荻窪に住んでおりました。もちろんこれは『1Q84』とは、関係のないことですが…。

 でも青梅街道が井伏鱒二『荻窪風土記』の記述通りであるならば、「新宿」「高円寺南口」「荻窪」「青梅」「二俣尾」は、一直線に並んでいることになると思います。

 このような事実を並べてみれば、村上春樹の『1Q84』という作品と中里介山『大菩薩峠』という作品が、密接に関係した作品であることがわかっていただけるかと思われるのです。でも他にもいくつか、その関係を述べることができるかもしれませんので、もう少し紹介してみましょう。

 『1Q84』の主人公・青豆は女の殺し屋で、同作は渋谷のホテルの4階での殺人場面から始まっています。これに対して、中里介山『大菩薩峠』も「音無しの構え」を使う剣術の名手・机竜之助が、大菩薩峠の峠の上で巡礼の老爺に「あっちへ向け」と言って、いきなり胴体をまっぷたつに切って、殺してしまう場面から始まっているのです。そのような関係を考えると、「青豆」はまるで、女・机竜之助と言ってもいいかもしれません。

 また『1Q84』は発表当時、エンターテインメントの手法を使った大長編として、話題となりました。中里介山『大菩薩峠』も大衆文学、時代小説の金字塔と呼ばれる作品であることも似ている面があるかもしれません。

 さらに『1Q84』は登場人物たちが、現実の「1984」年の世界から、ちょっと時空間がねじれた別な世界に侵入してしまう物語です。主人公たちは、まるで線路のポイントが切り替えられたかのように、別な世界に入り込んでしまうのです。

 「青豆」と「天吾」の話で言えば、紹介したように2人が、10歳の小学生の時代、人影のない教室で手を強く握り合った時に、午後3時半のまだ明るい空に月がぽっかりと浮かんでいて、2人だけで白昼の月を見るのですが、その「月」というものが、現実の「1984」年と『1Q84』年の世界を分けるシンボルのようにして記されています。

 つまり『1Q84』の側には月が2個出ているのです。しかも天吾にも、青豆にも、その2つの月が見えるのです。

 そして中里介山『大菩薩峠』のほうも、かなり時間軸がねじ曲がった作品なのです。それを紹介しましょう。この大長編に「裏宿の七兵衛」という怪盗が出てきます。一晩で数十里も走るほどの俊足健脚の泥棒です。

 この「七兵衛」は盗んだ金を貧民に分け与えたという義賊で、現在の青梅市裏宿町に実在した人物です。青梅市裏宿町の青梅街道沿いには「七兵衛公園」という公園があるほどです。

 でもこの「裏宿の七兵衛」は実際には元文4年(1739年)には刑死しています。

 中里介山『大菩薩峠』という作品は、安政5年(1858年)から、慶応3年(1867年)にいたる幕末の9年間の物語です。当然、「裏宿の七兵衛」は、その時代を生きているはずがありません。でも「七兵衛」は、この大長編の中で活躍する主要人物として描かれているのです。

 例えば、冒頭で机竜之助に大菩薩峠で殺されてしまう老爺は、孫娘お松と一緒に巡礼していたのですが、そのお松を助けるのが「七兵衛」なのです。

 このように『大菩薩峠』の作中の時間も、ねじ曲がっているのです。ちなみにもう一つ、時間がねじれた例を『大菩薩峠』の中から挙げてみましょう。

 この大長編の終盤に「農奴の巻」という章があって、そこに村岡融軒著『史疑』という書物のことが出てきます。この本は徳川家康の真実の素性を突き止めようとした書物です。「結局この著者の研究の結果は、家康は簓者(ささらもの)の子であって、松平氏の若君でもなんでもない、十九歳までは乞食同様の願人坊主(がんにんぼうず)であった」という言葉が記されています。

 でも、そんなことを記したこの本は、明治35年(1902年)に刊行されたもので、当然、幕末を舞台に描いた『大菩薩峠』の時代に出版されているものではありません。ここでも『大菩薩峠』の中の時間は『1Q84』と同じように、ねじ曲がっているのです。

         ☆

 「二俣尾」。「駅の名前には聞き覚えがなかった。ずいぶん奇妙な名前だ」と村上春樹は『1Q84』の中で書いています。

 もう20年以上前のことですが、作家の安岡章太郎さんが『大菩薩峠』について書いた『果てもない道中記』の連載が始まる前に、安岡さんのお供をして、羽村、青梅をはじめ、御岳など、中里介山と『大菩薩峠』のゆかりの土地を泊まりがけで歩いたことがあります。ですから、私も「二俣尾」という名前も、知らないわけではありません。

 でも『1Q84』の中に置かれた「二俣尾」について考えてみると、この名前は、何かが、2つに分かれて、その痕跡が「尻尾」のようにして、残っているような感覚を伝える地名として、この作品の中にあるのではないかと思えてくるのです。

 中里介山『大菩薩峠』の時代設定として始まる年、安政5年とは、安政の大獄が始まった年にあたります。また中里介山は日露戦争に際しては平民社の運動に参加して、非戦論に与(くみ)した人でもありました。その後、社会主義運動に対する懐疑をつよめて、平民社のグループからは距離をおくようになるのですが、それでも親交のあった幸徳秋水らが、大逆事件で逮捕されて処刑されたことに大きなショックを受け、そのことが『大菩薩峠』という大作に影響を与えていることはよく知られています。

 紹介した村岡融軒著『史疑』は、出版するとすぐに発禁となってしまいます。つまり徳川家康の真実を語る形をとりながら、当時の明治政府の元勲たちの氏素性が、それほど立派なものではないことを書いていたからです。

 そのようなことを幕末を舞台にした『大菩薩峠』の中に平気で取り入れてしまう中里介山という人は明治政府に対する強い批判の精神を抱いていた小説家なのでしょう。

 表街道である甲州街道ではなく、裏街道である青梅街道を舞台に『大菩薩峠』を書いているのですから、そこにもう一つ別な世界があり得たことを書こうとした小説だと言えると思います。「裏宿の七兵衛」という人物の活躍も、私には「裏」という言葉への中里介山の深い愛着を感じるのです。

 さらに犯罪者でありながら、善をなす、義賊の「裏宿の七兵衛」と、「青豆」の存在が少し重なって私には感じられてくるのです。

 少し横道にそれるかもしれませんが、2000年に刊行された雑誌「ユリイカ」の特集「村上春樹を読む」の年譜をみると、マラソン好きの村上春樹は1990年2月に「青梅マラソン」に参加しているようです。「二俣尾」も青梅マラソンのコースですので、村上春樹にとって、未知の場所ではありません。「裏宿の七兵衛」は一晩に数十里も走れる健脚です。マラソンランナーたちも、その「七兵衛」の健脚にあやかりたいらしく、「七兵衛」のお墓には、マラソンの瀬古利彦さんもお参りにきたほどの人気のようです。

また、村上春樹は『平家物語』が大好きで、『1Q84』の中にも「ふかえり」が暗唱している「壇ノ浦の合戦」の安徳天皇入水の場面を長々と語る場面がありますが、中里介山も9歳のころから『平家物語』を愛読したそうですから、これもかなり共通した部分があると思います。

 そういう両者の共通点のようなものを妄想して挙げていくときりがないのですが、村上春樹も明治以降の日本の近代というものに対して、批判的な視点を抱き続けて物語を書き続けてきた人だと、私は考えて、このコラム「村上春樹を読む」を書いています。

 そして、私が述べてきたように、村上春樹『1Q84』が中里介山『大菩薩峠』と強い対応性を秘めて書かれているとすれば、この『1Q84』という長編も、現実の「1984」年ではなく、あり得たかもしれないもう一つの世界を描こうとしているのではないだろうかと思えてくるのです。

 そんな視点から『大菩薩峠』と『1Q84』の対応性について、もう一つ例を挙げてみたいと思います。

 それは両作が描く世界に、ユートピアの追求とユートピアの崩壊ということが一致してあるということです。

 『大菩薩峠』には机竜之助と運命的に結ばれる、お銀様という激しく、驕慢な女性が出てきます。その、お銀様は胆吹山付近にユートピア建設の夢に燃えます。『大菩薩峠』は、そのユートピアが終盤に崩壊していく話でもあります。

 『1Q84』では、天吾が「二俣尾」の戎野先生の家をふかえりと訪れて、ふかえりの父である深田保(リーダー)についての話を聞いていると、深田保は大学を離れた後、「タカシマ塾」というコミューンのような組織の中に家族ごと入っていきました。

 「深田はそういうタカシマのシステムにユートピアを求めたということになっている」と戎野先生がむすがしい顔をして言った。そう村上春樹は記しています。

 そのタカシマ塾も「さきがけ」という組織に分派し、深田保は、その「さきかげ」の農業コミューンのリーダーを務めるようになります。さらに「さきがけ」が分裂して、ふかえりはそこから脱出してしまいます。その分派コミューンは、今度は「あけぼの」という武闘派組織をつくります。このようにユートピアが、分裂し、崩壊していく話でも『1Q84』は『大菩薩峠』と通じ合う世界を持っていると思うのです。

 そして、その「あけぼの」は本栖湖近くの山中で警官隊と銃撃戦を起こします。

 警官隊との銃撃戦と言えば、まず思い出されるのは「浅間山荘事件」ですが、大菩薩峠との関係で言えば、赤軍派が大菩薩峠付近で武装訓練中に50人以上が逮捕された「大菩薩峠事件」という事件もあって、そのことも対応して描かれているのではないかと思います。その後「さきがけ」のほうが、カルト集団となっていくという展開です。

 ならば、中里介山『大菩薩峠』も、村上春樹『1Q84』もユートピアの崩壊や消滅だけを描いた小説と言えるかという問題が残りますが、私はそうとは思えません。

 中里介山はユートピアを追求して、「二俣尾」に「隣人道場」というものを作っています。理想の教育を目指して、図書館や武道館として開放してもいる人でした。

 そして村上春樹の書いた『1Q84』という作品も、ユートピアを追求し、そのユートピアが崩壊した後も、そのユートピアの追求の場に立ち留まり、そのユートピアへの道が崩れた原因を探り、実はあり得た、もう一つの世界の可能性を探り続け、考え抜こうとしている物語のように読めるのです。

 「深田はそういうタカシマのシステムにユートピアを求めたということになっている」と戎野先生がむずかしい顔をして、天吾に言います。

 しかしこれは、深田がユートピアを求めたことについて、否定している言葉ではないでしょう。「システムにユートピアを求めた」ことに対して、戎野先生は否定的で「むずかしい顔」をしているのだと、私は思います。そのように受け取るべき言葉だと思っています。人はユートピアを求めるものであるし、村上春樹もユートピアを追求し続けていると思います。しかしシステムにユートピアを求めてはいけないのです。

 ならば、どのようにして、ユートピアの実現は可能か? それを考え抜いた作品が『1Q84』という大長編なのだろうと、私は思っています。そんな視点から、『1Q84』を読んでみるのも、きっと面白いと思いますよ。

         ☆

 さてさて、そうです。「青豆」と「青」の関係について、書かなくていけないコラムです。私は村上春樹の「青」は「歴史」を表す色ではないかと考えているのですが、「青豆」のことが『1Q84』の冒頭近くで、次のように記されています。

 「歴史はスポーツとならんで、青豆が愛好するもののひとつだった。小説を読むことはあまりないが、歴史に関連した書物ならいくらでも読めた」とあるのです。さらに「中学と高校では、青豆は歴史の試験では常にクラスで最高点をとった」とも記されています。

 やはり「青」は「歴史」の色であり、「青豆」は「歴史」を表していると、私は思います。どんな歴史か? それは、その音も似ていますが、まず「青梅街道」の「青梅」につながった「歴史」であるのだろうと思います。「豆」とは「食用の実」のことですが、「青豆」とは「歴史の実」という意味ではないかと考えているのです。

 以前も紹介しましたが、『1Q84』は主人公「青豆」が、高速道路を走るタクシーの中でヤナーチェックの『シンフォニエッタ』という曲を聴いている場面から始まっています。もう1人の主人公「天吾」も高校時代に、吹奏楽部の助っ人でティンパニを担当、やはりヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を演奏しています。

 さらに『1Q84』BOOK3で、新たに視点人物に加わる「牛河」も、また自宅のラジオで同じ『シンフォニエッタ』を聴いています。「牛河」は『ねじまき鳥クロニクル』にも登場してきた人物ですが、その「牛河」はリーダーを殺害した者を追跡するために、「天吾」のアパートの1階に部屋を借ります。つまり『1Q84』の視点人物の「青豆」「天吾」「牛河」の3者が「青梅街道」に近い高円寺に結集する物語となっているのです。

 そして「天吾」は、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を高校時代に演奏して以来、「それは天吾にとっての特別な意味を持つ音楽になっていた。その音楽はいつも彼を個人的に励まし、護ってくれた」と村上春樹は記しています。

 なぜ「天吾」にとって「特別な意味を持つ音楽」なのか。それは「非伝統的」ということなのではないでしょうか。『1Q84』の中に「青豆」が図書館に行って、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』について調べる場面があるのですが、その曲の「構成はあくまで非伝統的なもの」と記されているのです。つまりこの曲を聴く人たちは「非伝統的なもの」でつながっている人たちなのでしょう。

 その『シンフォニエッタ』は1926年作曲の作品。それは年号でいえば大正15年、昭和元年につくられた曲です。『1Q84』とはバブル経済の直前まできた「昭和」の日本を舞台にして、そうではない日本、あり得たはずの別な日本を追求した作品なのです。

 そのあり得たはずの近代日本の歴史をたどっていくと、その分かれ道が「二俣尾」という場所なのではないでしょうか。「青豆」はそんな歴史を体現している主人公なのだと思います。

 さてさて『大菩薩峠』に関連した本を最後に紹介して、このコラムを終わりにしたいと思います。一つは、この回で紹介した安岡章太郎さんの『果てもない道中記』です。村上春樹が『若い読者のための短編小説案内』(1997年)の中で、「近作の『果てもない道中記』はとてもおもしろかった」と書いています。お薦めです。もう一つは野口良平さんの「『大菩薩峠』の世界像」(2009年)です。これもお薦めです。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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