開戦80年

 市況は見る見るうちに活気づき、首相官邸には喜びと激励の電話が殺到したらしい。「よくやってくれた」「胸がスーッとした」…▲真珠湾攻撃の知らせが流れたとき、列島は高揚感に包まれたという。太平洋戦争の火ぶたを切って、きょうで80年になる▲1月に亡くなった作家、戦史研究家の半藤一利さんは著書「[真珠湾]の日」(文春文庫)で、日米開戦に至る道を多くの史料でたどっている。開戦ひと月前の御前会議のくだりに、ひときわ目を見張る▲政府や軍の幹部から楽観的な見通しが語られたあと、開戦に向けてこんな結論が出る。〈先になると困難を増すが、何とか見込みありと言うので、これに信頼す〉。やるなら今だ、と▲その程度の見当で戦争を始めてしまった、と半藤さんは書いている。戦争とはいわば雪の玉だろう。〈何とか見込みあり〉と最初に雪を丸めたのが軍部であっても、いったん坂を転がり出せば国民全てを巻き込み、膨らんでいく▲〈“すべてがそうなってきたのだから/仕方がない”というひとつの言葉が/遠い嶺(みね)のあたりでころげ出すと/もう他の雪をさそって/しかたがない、しかたがない/と、落ちてくる〉(石垣りん「雪崩のとき」)。雪の玉を作らせない、雪崩を起こさない。そんな不戦の誓いをかみしめる日にしたい。(徹)

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