北工作船と銃撃戦から20年 佐世保海保の巡視船「あまみ」 弾痕の教訓

銃撃を受けて、貫通した痕が見られる書物=佐世保市内

 鹿児島県・奄美大島沖で2001年12月、海上保安庁の巡視船が北朝鮮の工作船と銃撃戦を繰り広げた事件から22日で20年を迎える。当時、現場で対応に当たった巡視船「あまみ」=佐世保海上保安部所属=の船橋には今も弾痕が一部残され、船内には銃弾が貫通した本が保管されている。
 01年12月22日、鹿児島県の名瀬海上保安部に所属していた「あまみ」は不審船の連絡を受け現場に急行。他の巡視船3隻とともに対応にあたった。不審船は停船命令に従わず、自動小銃やロケットランチャーによる攻撃をしてきたため、巡視船は正当防衛射撃を実施。その後、不審船は自爆して沈没した。「あまみ」は100発以上の銃弾を受け、乗組員3人がけがを負った。
 「あまみ」の船橋にある本棚には銃弾が当たった分厚い本が置かれている。厚さ5センチの本には直径約2センチの穴が空き、弾が貫通。その隣の本も4センチのところまで弾が到達している。山田隆司部長は「船橋の鉄板を貫通した弾が本棚を突き破ったのでは」と推察する。操船機器にも跳弾痕が3カ所残っており、銃撃戦の激しさを物語っている。損傷した船橋前面は海上保安大学校(広島県呉市)に展示されている。
 山田部長は「海上保安官がそれぞれの役割を果たしたのは訓練のたまもの。歴史的な教訓として残し、県民にも厳しい現状があると知ってほしいし、機会があれば実物を見せたい」と話した。

海上保安大学校に展示されている巡視船「あまみ」の船橋の前面部分=同大学校提供

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