豆腐の歳月

 名文家で鳴らした人は目の付けどころが違うもんだ、と作家の故向田邦子さんの「豆腐」というエッセーを読んで思う。ひと月を〈豆腐を何丁も積み上げたもの〉と例えている▲その昔、豆腐屋の店先で、巨大な豆腐の塊におじさんが包丁を入れるのを見ていた。切り分けた1丁を「1日」とすれば、心にかなうことがあった日はスウッと包丁の入った、角の立った豆腐で、うまくいかなかった日は角がグズグズの豆腐に思えたという▲それが何丁、何十丁と重なってひと月になり、1年になる。今年も残りわずか、スウッと包丁の入った日はさて、どれくらいあったろう▲鍋の中で豆腐が煮崩れるような日もあったな、と省みることしきりだが、またもコロナ禍に覆われたこの1年、多くの人が心にかなう満足よりも、ままならないもどかしさ、先の見えない不安の方が大きかったとお察しする▲向田さんの文はこう続く。歯応えも味もなくて子どもの頃は苦手だった豆腐だが、大人になると〈形も味も匂いもあるのである。崩れそうで崩れない、やわらかな矜持(きょうじ)がある。味噌(みそ)にも醤油(しょうゆ)にも、油にもなじむ器量がある〉と見方が変わる▲豆腐には柔軟さも、いろいろ味付けできる幅の広さもある。来年の日々の“風味”はどうだろう。最後の1丁、2丁を積んで今年も終わる。(徹)

© 株式会社長崎新聞社