教育者の情熱 最期まで 小嶺忠敏さん死去  ここ1、2カ月で体調急変

昨年12月1日、グラウンドで選手たちを指導する小嶺監督。このころから徐々に体調が優れなくなった=長崎市、県スポ協人工芝グラウンド

 誰もが言葉を失う突然の訃報だった。7日に肝不全で急死した小嶺忠敏さん(76)。長崎総合科学大付属高の現役監督で、本年度もチームを夏、冬の全国大会へ導いていた。だが、12月末に首都圏で開幕した全国高校サッカー選手権のベンチに名将の姿はなかった。それから10日もたたないうちに帰らぬ人となった。
 豪快に酒を飲み、体を酷使してまでサッカーの指導を続けた。数年前から短期の入退院を繰り返すようになっていたが、人前では元気に振る舞っていた。体調が一気に悪化したのは、ここ1、2カ月のことだった。
 冬の選手権の県予選が行われていた昨年10月30日。大村市内の飲食店で、かけうどんをぺろりと平らげる姿があった。「もう次の試合が始まるから」と足早に店を後にして、翌日の対戦相手をチェックするために自ら車を走らせるほど健在だった。11月14日、県予選優勝を決めた試合の直後も「年を取れば取るほど知恵が出てくる」と語りだし、約20分にわたって勝負へのこだわりを熱弁していた。
 異変が表に出たのは12月1日、全国大会に向けた合同取材の時だった。「2、3日前から病院に行っている。息をするのもしんどい」と打ち明け、のどから息が漏れるような声で言葉を発していた。そして、グラウンドに立つ最後の日となったのが12月18日。公式戦で宮崎県のチームに逆転負けした際、コーチに肩を借りながら無言で会場を後にした。この時すでに、自らの足では歩けないような状態。迎えに来た家族の車に乗り込み、以降は入院生活を続けていた。
 長崎総合科学大付属高のサッカー部は監督不在のまま冬の選手権に出場。3回戦まで勝ち上がった。家族によると、体調の波があっても試合の時間になると必ずテレビで戦況を見守り、1月2日に敗れた後はコーチに「行けなくて申し訳ない。よく頑張った。褒めてやってほしい」とメールを送っていたという。
 サッカーに人生をささげ、子どもたちに情熱を注いだ教育者。息絶えるその瞬間まで生きざまを貫いた。


© 株式会社長崎新聞社