なぜ那須サファリで猛獣の飼育係襲撃が続くのか 脆弱な安全体制を検証すると…

By 佐々木央

3人の飼育員を襲ってけがをさせたベンガルトラの雄(同園公式ツイッターより)

 どんなに恐ろしく、どんなに痛く、救助されるまで、どんなに苦しかっただろう。栃木県の那須サファリパークで1月5日朝、飼育係3人がベンガルトラに襲われた。1人は右手首を失った。

 動物園やサファリパークは、野生動物の魅力や迫力を伝え、自然と人間の関係を考えるきっかけを与える。その根底にあるのは、命の大切さだと思う。ところが、そこで働く人が死傷する事故がなくならない。

 この事故については、まだ分からないことが多い。園の説明によれば、トラは本来いるはずのない通路にいたとみられる。前日夕、夜間収容する獣舎に戻していなかったらしい。事故から2日後の7日、栃木県警が家宅捜索に入り、捜査を始めている。刑事事件としては、安全管理の実態や具体的な過失の特定、そしてその失敗がなぜ起きたのか、誰に責任があるのかが焦点になるだろう。

 しかし、それだけでは背景にある問題を見落とすことになるのではないか。私はこれまで14年間、動物園や水族館を取材してきた。そこで知り得たことと、いま分かっている情報から、この事故の構造的な要因を探りたい。(共同通信=佐々木央)

 ▼3度の事故でけがをした全員が20代

 「おやっ」と思ったのは、けがをした3人が全員20代であったことだ。最初にトラと鉢合わせした女性飼育係は肉食獣担当で26歳、救助に駆け付け手首を失った女性飼育係は「ふれあい広場」の小動物担当で22歳、同じく救助しようとして襲われた男性飼育係は大型動物担当で24歳。飼育係としてのキャリアは順に4年目、2年目、4年目だという。

 那須サファリでは97年、女性飼育係2人がライオンにかまれ重傷を負ったが、2人の年齢は19歳と21歳だった。その3年後にも、21歳の男性飼育係がライオンに襲われ、大けがをした。若い人ばかりが被害に遭っている。

 飼育係に要求されることは幅広く、奥が深い。動物を健康に飼ったり繁殖させたりする技術にとどまらず、野生下の状態を十分に知って飼育に生かし、訪れる人に対して動物や自然に対する認識を深めてもらう展示手法も追求しなければならない。自ら経験を積み、また経験を積んだベテランに学ぶ必要がある。

 そうだとすると、動物園やサファリパークにおける飼育スタッフの人員構成は、ベテランと中堅、若手のバランスがある程度、取れている必要がある。

 那須サファリはどうだったのか。たまたま、若い人たちが被害に遭ったのか。どうやらそうではない。従業員は五十数人で飼育スタッフは18人。多くが20代だという。なぜ、若手に偏っているのか。

事故があった1月5日当日午前の那須サファリパーク 

 ▼圧倒的な買い手市場で起きること

 動物園や水族館の取材を重ねるうちに知ったのだが、飼育の仕事をしている人は、とにかく生きものに関わる仕事をしたいという「生きもの好き」が多い。経歴を聞くと、大学の生物系・畜産系・水産系・獣医師養成系学部を出たり、飼育を学ぶ専門学校を卒業したりしている。

 逆に言えば、生きものが好きで大学や専門学校の関係コースに進んだ人の相当数は、動物園や水族館への就職を目指す。しかし、求人は非常に少ない。そのため、圧倒的に雇用側優位の「買い手市場」となる。それは、いわゆる“やりがい搾取”と呼ばれるような職場環境につながる。

 那須サファリのホームページ(HP)の「採用情報」を見る。

 「動物飼育員 正社員・契約社員/採用人数 若干名/給与17万円~/応募資格 専門学校・短大・大学で動物に関する学科を卒業、または卒業見込みの方。普通自動車免許(MTが望ましい)」(一部省略)

 月給の最低は17万円である。居住地に制限はないから、全国から希望者が集まるだろう。採用されたら、まず住まいを確保する必要がある。省略した部分には「住宅手当(1万5千円)」とあるが、それではとても賄えないはずだ。税金や社会保険料も引かれる。交通費支給とは書いていない。便利な場所ではないから、通勤の車の購入費、燃料費、維持費も支出することになるのではないか。

 「勤務時間8:00~17:00休憩60分/休日シフト制(月8日)」という記載から、月に23日間、定時で働いたとして時給を計算すると、924円。2021年度の栃木県の最低賃金884円をかろうじて上回る。

 これは那須サファリだけの問題ではないことは、付言しておかなければならない。コストカットを狙って公営の動物園水族館にも、管理運営を民間委託する指定管理者制度が広がる。そのしわ寄せは人件費の削減となって、働く人に及ぶ。契約や嘱託、パート、アルバイトといった非正規雇用が増え、若者が使い捨てのようにされている。毎年春になると、正規雇用になれず、夢を諦めて去っていく人たちのことを聞く。

 ▼「動物を見る目」は育つか

 那須サファリの飼育係の人数は適正だろうか。

 動物飼育には土日も祝日もないから、毎日ほぼ同じ人数が稼働する必要がある。飼育係18人が週休2日で働くと、1日当たりの稼働は12~13人になる。しかし有給休暇の消化や病欠も考えると、これより少ない人数でやりくりしければならない日も多いだろう。

 飼育動物の種数は約70種、700頭羽とされている。12人で割り算すると、飼育係1人が1日に担当する動物は平均約6種、60個体となる。もちろん、数が平均するように担当動物を決めるわけではないし、負担の重さも数だけで決まるわけではないから、あくまで目安だ。

 いずれにせよこれら多数の動物たちに対して、種ごとに(場合によっては個体ごとに)異なる餌を用意し(飼育係は調理人でもある)、適切な方法で給餌し、飼育舎と運動場の排せつ物などを掃除しなければならない。

 なにより動物に変化や異常がないかどうか、状態や動きをよく観察し、異常があるなら獣医師らと対応し、次の日の担当にも分かるように記録を残す必要がある。長く取材してきて、この「動物を見る目」において、新人とベテランの差は大きいと感じる。

 経験の浅い飼育員が、60個体もの生きものの面倒を見るめまぐるしい作業の中で、自らの安全を確保しながら、ぬかりなく観察し、勤務時間内に記録までして引き継ぐことは可能だろうか。

 飼育スタッフが動物に襲われる事故のほとんどは、ヒューマンエラーによって起きる。鍵のかけ忘れや動物のいる場所の確認漏れといったことが原因だ。

 こうした人為ミスへの決定的な対策は、2人体制を取ることとされている。動物を飼育舎から運動場に出すとき、飼育舎に戻すとき、別の1人が立ち会い、適切に行われているか見守る。その1人はあえて何もしない。事故の教訓に学び、2人体制を取る動物園は少なくない。

 しかし、実行するには重い人的コストが立ちはだかる。那須サファリにはトラやライオンだけでなく、ゾウやサイもいる。優しいイメージがあるゾウだが、実は人身事故が多い。サイでも19年、東京・多摩動物公園で死亡事故が起きた。

 危険性の高い動物すべてに2人で対応するなら、とても12人では足りないと思う。人間の安全に対して、脆弱(ぜいじゃく)な体制というほかない。

 ▼人が少ない中での飼育管理が常態化か

 人命を脅かす事故が起きたのだから、経営者が安全のコストをどう捉えているのか知りたいし、動物をビジネスにするなら、動物に対する考え方や姿勢も問われると思うが、現状では伝わってこない。那須サファリは「東北サファリパーク那須支店」という位置づけである。本社である東北サファリパーク(福島県二本松市)に、事故をどう受け止めているか、スタッフ体制や人員構成は適切だったかといった点を尋ねると、副社長は「那須支店の発表をもって会社の発表ということです」と答えた。

那須サファリパークを家宅捜索し、押収物を運ぶ栃木県警の捜査員=1月7日

 寒い季節、那須サファリにはどれだけの客が来るのだろう。この冬はかなりの雪に見舞われているようだ。寒冷な地方で動物園やサファリパークを維持するのは、経営面でも飼育環境の面でも、もともと難易度が高い。それでも利益を求めるなら、現場に強い負荷がかかっていたのではないか。

 最後に、日本にいる動物を中心とする先進的な動物園をつくった富山市ファミリーパークの元園長、山本茂行さんの見方を紹介したい。山本さんは10年から14年まで、日本の主要な動物園・水族館が加盟する日本動物園水族館協会(JAZA)の会長も務めた。この事故については厳しく受け止めている。

 「野生動物を飼育する施設には、やっていいこと、いけないことの基準がある。その基準によって今回の事故も判断されなければならない」

 そう基本的な考え方を明確にした上で、那須の事故についてはこう述べる。

 「入って数年の人たちだけで飼育現場を担っているとしたら、指揮・報告系統も責任体制も満足に構築されていなかったのかもしれない。動物を飼うまっとうな仕組みはできていたのか。報道によれば、夕方、動物を獣舎に入れたという確認をしていない。朝になって、獣舎にいるという確認もしていない。分からない中でエリアに入っているようだ。人が少ない中での飼育管理が常態化していた可能性がある。もしそういうやり方なら、経験の浅いスタッフ18人でも、何とか現場は回せるが、それでは幅広く奥の深い飼育係の仕事は実現できないだろう」

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