ピナテール没後100年

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 フランス人貿易商ピナテールが亡くなってから今年で100年。幕末に来日して長崎の出島に店を構え、ワインなどを売り財をなした人物だが、商売よりも悲恋のエピソードで名を残す▲ピナテールは丸山の遊女にほれ込み、身請けして結婚した。だが幸福は長く続かない。同居3年目に妻が肺炎になり亡くなったのだ▲悲嘆のあまりか、ピナテールは身だしなみに頓着しなくなり、出島の洋館に閉じこもりがちになった。1922年1月30日に75歳で亡くなるまで、40年にわたり亡き妻を思い続け、形見の枕を抱いて独り暮らした▲長崎の人々はピナテールを「奇人」「変人」と呼んだそうだが、一方で同情もしていただろう。明治大正期の長崎には彼のような西洋人の名物男が、まだ多くいた▲長崎医学専門学校の精神医学教授として赴任していた歌人斎藤茂吉も、悲しみをまとうピナテールに会い心引かれた。〈長崎の港の岸を歩みいるピナテールこそあはれなりしか〉など彼を題材に幾つかの歌を残している▲ピナテールが眠る長崎市の坂本国際墓地に足を運んだ。古びた墓石に刻まれた「VICTOR(ビクトール) LEOPOLD(レオポルド) PIGNATEL(ピナテール)」の名がくっきりと浮かぶ。その恋物語は100年の時を超えて語り継がれ、国際都市長崎の記憶の一部となっている。(潤)