尾身さんの謝罪

 なぜ、謝ることになったのだろうか、と事の意外な顚末(てんまつ)に首をかしげている。先日この欄で触れた尾身茂・政府新型コロナ対策分科会長の「人流抑制より人数制限」発言。「専門家の使命感が言わせたのだろう」と好意的に解釈していたが▲全国知事会長に「ご迷惑を掛けた」と語ったらしい。発言が言葉足らずだった、という意味か、生煮えのままで“私見”を述べてしまったのか、それとも感染拡大のさなかに発言を一足飛びに先に進めたことをわびたか▲知事サイドからは「困惑している」「政府と擦り合わせを」などの声が上がった。だが、政府や自治体の施策と矛盾しない発言だけが許されるのなら、研究者や専門家が参画する意味などあるまい▲真意を測りかねる、と言うのなら、もっと丁寧な説明を重ねて要求すればよかった。「意味が分からない」「すみませんでした」で終わってしまったら、深まるはずの議論も深まらない▲演出家の鴻上尚史さんが「コミュニケーション能力」について「物事が揉めた時に何とかできる能力」と定義していたのを思い出す。誰とでも友達になれるとか、簡単に人間関係を築けるとか、ではなくて▲一見イレギュラーな見解とどのように向き合えるか-いろんな人々の“コミュ能”がさまざまに試され続けている。(智)

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