北京五輪きょう開幕

 子どもは決してまねしないでね、と前置きして、遠い遠い日の思い出を一つ。幼稚園の滑り台を立ったまま滑るという、危なっかしい遊びに熱中した時期がある。滑る時の掛け声は確か、「かさや、とんだ!」▲1972年2月3日、札幌冬季五輪が開幕し、その3日後には70メートル級ジャンプで日本選手がメダルを独占した。金、銀、銅と表彰台に並んだ「日の丸飛行隊」のうち、真ん中の笠谷幸生(かさやゆきお)選手の雄姿は子どもの目にもひときわ輝いて映ったのだろう。滑り台が白銀のジャンプ台に早変わりした▲それから半世紀、78歳の笠谷さんの回想が先月の紙面にある。〈失敗しないで終えたのが不思議でね。誰のせいかと思ったら、観客だった。念力というのかな、それを初めて感じた〉▲選手村の思い出もある。〈警備なんてないようなもので〉自由だった、と。声援を追い風に飛び、競技を離れると電車で食事にも出られたという▲50年の歳月を経て、これとは正反対の厳戒ぶりで北京五輪の幕が開く。招待客しか観戦できず、選手や関係者は外部と接触させない。昨夏の東京五輪の比ではないらしい▲声援という「念力」はないが、胸を打つ数々のドラマが次々と生まれる。私たちはそれを東京五輪で知った。ぴりぴりした厳戒下でも、きらきらと人が輝く17日間であれ。(徹)

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