<南風>裾礁

 私たちのよく知る沖縄のサンゴ礁が総じて「裾礁(きょしょう)」であることをご存じだろうか。サンゴ礁が、サンゴのような石灰質の骨を作る生き物の死骸が堆積してできた地質であることはよく知られている。サンゴ礁の発達には生物の働きや海水の流動、化学成分の変化など複雑な過程が関与するが、裾礁の発達は2次元的にモデル化できる。

 いくつかの過程を組み合わせてスーパーコンピューターに計算させると、波の砕ける礁嶺(ピシ)で外海と隔てられた礁池(イノー)が広がる裾礁が地形断面として出現する。計算を続けると無意味な地形が描かれるので、裾礁の維持とその後の成長には別な過程が関わることが理解できる。

 渡名喜島の地質調査からは、現在の集落が裾礁の完成後に成立したことが分かっている。ピシは台風の荒波から集落と耕地を守る。裾礁は陸と海の両義的な世界で、満潮時にピシを超えてイノーに入った魚は、干潮時には歩いて獲ることができる。ピシで荒波から守られた暮らしは、イノーの恵みで豊になったが、その恵みにも限りがあって、西表島網取の貝塚調査では、時代を経て漁獲貝類の種やサイズが小型化していた。

 島の人々は裾礁の口からこぎだし、外海や礁斜面のくぼみ(クムイ)に巡り来る魚に糸を垂らし、網を仕掛けて漁をした。口の形成には陸水が影響する。河口や入江に開けた口は泊まりとして交易拠点になった。島の暮らしは裾礁のありようと密接に関わっている。

 熱帯海域では裾礁が沖へ成長を続け、深い礁湖(ラグーン)で島と隔てられた堡礁、さらにはサンゴ礁だけが海上に残る環礁へと変化を遂げ、人類は独自の海洋文化を開花させた。イギリスの海洋探検船ビーグル号で多くの観察を行い、生き物の進化とともにサンゴ礁の発達段階をも見いだしたのはダーウィンだった。

(中野義勝、沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長)

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