広島原爆7千発分の核実験、68年後の今 「ビキニデー」の島に迫るもう一つの危機

太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁。中央上の入り江のような色の濃い部分は1954年の水爆ブラボーの実験でできたクレーター=2011年

 太平洋ビキニ環礁での水爆実験で日本漁船「第五福竜丸」などが被ばくしたのは、1954年3月1日。日本で反核運動が盛り上がるきっかけとなったこの日は「ビキニデー」と呼ばれる。ビキニを含む美しい環礁が連なり「太平洋の真珠の首飾り」と呼ばれるマーシャル諸島共和国で、米国は核実験を繰り返した。住民は放射線被ばくや強制移住の被害に遭った。

 実験終了から60年以上たった今も、多くが故郷に帰れていない。さらに今、地球温暖化が引き起こす海面上昇によって国土そのものが失われようとしている。(共同通信=野口英里子)

 ▽魂が奪われた

 マーシャル諸島は、五つの島と29の環礁からなる。米国は旧ソ連との冷戦下にあった1946~58年、ビキニとエニウェトク両環礁に核実験場を造り、67回もの核実験を実施。両環礁の島に暮らすひ人々は、それぞれ数百キロ離れた別の島に移住させられた。「死の灰」と呼ばれる放射性物質が降り、避難を余儀なくされた地域もある。

 「私たちの生活と文化は、土地と強く結びついている。土地を奪われることは魂を奪われることと同じだ」。首都マジュロの非政府組織(NGO)で被害の継承活動に取り組むデズモンド・ドゥラトラムさん(35)は、怒りを込めて取材に語ってくれた。故郷と異なる環境の中、住民らは自給自足の道を絶たれ、米国からの輸入食品に依存するように。それまでほとんど見られなかった糖尿病などが増えた。

オンラインで共同通信のインタビューに応じるデズモンド・ドゥラトラムさん=22年2月

 核実験終了後、それぞれの環礁は帰島が認められた。しかし、ビキニは井戸水などから高線量の放射線が検出されたため再閉鎖。エニウェトクの北部には除染土などの放射性廃棄物の捨て場が造られた。

 ▽不十分な補償

 12年間にわたった実験の総威力は、広島に落とされた原爆の約7千発分に相当するとされる。ドゥラトラムさんは「国全体が放射能に汚染された」と指摘する。

 しかし、米国が被害を認め補償したのは、実験場とした二つの環礁と、特に威力が大きかったブラボー実験による「死の灰」が降った別の二つの環礁のみだ。マーシャル政府は「補償対象の4環礁以外の住民も被ばくの影響とみられる病にかかっている」として対象拡大を訴えているが、米国は補償問題はすでに決着したとの立場だ。

マーシャルで「核実験被害を思い起こす日」と定められている3月1日に首都マジュロで開かれた記念集会(ドゥラトラムさん提供)=19年3月

 「高度な医療を求めて米国などに移住する人も多い。犠牲に見合った補償がなされていない証拠だ」と、ドゥラトラムさんは憤る。

 ▽国土水没の危機

 土地を奪ったのは、核兵器だけではない。マーシャルの平均海抜は約2メートル。地球温暖化による海面上昇で土地の水没が進んでいる。専門家は、今世紀末には国土の大半が海に沈む可能性があると警鐘を鳴らす。

 「数年に一度だった水害が、いまや年中行事だ」。1974年からマーシャルの核被害を取材してきたフォトジャーナリストの島田興生さん(82)=神奈川県葉山町=は、海の異変を目撃してきた。自身が過去に数年間暮らした地域も水没し住めない状態になってしまったという。

 島田さんは、核実験により移住した人々のコミュニティーが特に大きな影響を受けていると指摘する。「彼らの移住先は、元々祖先たちが居住に適さないとして選ばなかった無人島だった。浸水被害は他の島よりひどい」。行政は堤防を造るなどの対策を講じているが、悪化のスピードに追い付いていない。

マーシャル諸島の公園 海面上昇により浸水したマーシャル諸島の首都マジュロ沿岸部の公園(ドゥラトラムさん提供)=14年

 ▽空っぽの海

 世界各地のサンゴ礁を調査するプロダイバーで環境活動家の武本匡弘さん(66)=同町=は、海水温の上昇がもたらすサンゴの白化も深刻だと明かす。武本さんが初めてマーシャルで白化現象を確認したのは20年ほど前。数年の間に「水温が急上昇し、あっという間に死滅してしまった」

 サンゴがいなくなれば、そこをすみかとする他の海洋生物も死んでしまう。武本さんは「乱獲や海洋汚染などの問題も加わり、著しく食用魚が減っている。海はもう、空っぽだ」と嘆く。

 それは、マーシャルの人たちの伝統的な生活が成り立たないことを意味する。自給自足が難しくなれば、商品を手に入れるための現金が必要になる。マーシャルでは今、地方から都市部への移住や、ビザなしで渡航・就労ができる米国への「脱出」が進む。

 ▽地図から消さないで

 核兵器と温暖化。ドゥラトラムさんは、祖国が直面してきた二つの脅威の根本には、同じ課題があると感じている。大国の論理が優先される国際社会の構造だ。

 「私たちは大国の核開発競争の最前線に組み込まれ、国連への実験停止の請願も聞き入れられなかった」。気候の問題も同じだ。「30年以上前から異変は起きていた。対策の必要性を訴えたが、科学者たちは温暖化の存在を否定し続けた」

 2015年、世界の気温上昇を産業革命前と比べて1・5度に抑えることを目指す国際的枠組み「パリ協定」が国連で採択された。ドゥラトラムさんは「協定の目標が達成できなければ、私たちの生活は壊され続けるだろう。自分の国が地図から消えることは考えたくない」と悲痛な声で訴える。

 核実験の影響も全容が明らかにされておらず、世代交代に伴う記憶の風化も懸念される。一方、21年1月、「核被害者の苦しみに留意する」と明記した核兵器禁止条約が発効した。ドゥラトラムさんは「条約は、世界で共有すべき核兵器の恐ろしさを社会に思い起こさせてくれるだろう」と期待を寄せる。

 ▽「代弁者」の声聞いて

第五福竜丸展示館で開かれたイベントで話す島田興生さん=2月19日、東京都江東区

 島田さんと武本さんはブラボー実験で被ばくした第五福竜丸を保存・展示する「東京都立第五福竜丸展示館」(江東区)の呼び掛けで、マーシャルの過去と現在を伝える企画展に携わった。2人が現地で撮った写真や解説パネルなどが展示されている。

 「マーシャルのような小国の訴えは、いずれ世界の問題になる。彼らはいわば『代弁者』だ」と島田さん。企画展がその声に耳を傾けるきっかけになればと願う。武本さんは「気候変動という身近なテーマを入り口に、核や戦争の問題に目を向けてほしい」と話す。

 企画展は3月21日まで。入館無料。展示館のホームページからは2人が出演するギャラリートークの動画が視聴できる。

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