戦場からの退避行500キロ、「緊急避難口」までの30時間 共同通信記者3人、緊迫のキエフからリビウへ

2月24日、ウクライナの首都キエフ市内で立ち上る黒煙(共同)

 ロシアがウクライナ全土への侵攻を開始した2月24日未明、ミサイル攻撃を受けた首都キエフに共同通信記者3人がいた。間もなく、目に見える範囲だけでもあちこちで黒煙が立ち上り、腹に響くような砲撃音や飛行音が鳴り始めた。キエフが戦場となる中、有事に欧州への「緊急避難口」になると考えていた西部の古都リビウに移動すべきか、このままキエフにとどまるべきか―。3人は葛藤の末、最終的に退避が必要だと判断した。車を確保し、西へ500キロ超を走った。30時間に及ぶ退避行を振り返る。(共同通信=津村一史、岡田隆司、伊東星華)

 ▽行くか残るか

 ウィーン支局の岡田隆司(48)、ロンドン支局の伊東星華(37)、そして私、ローマ支局の津村一史(42)はリスク分散を考え、キエフ市内の別々のホテルに滞在していた。24日午前5時ごろ、東京本社からそれぞれ電話を受け、ロシアの軍事作戦決定を知った。

2月11日、日が暮れた後、キエフの中心街を歩く人々。この時はまだロシアが侵攻するとは多くのウクライナ人は考えていなかった(共同)

 慌ててロビーに下り、フロントの従業員に「ロシアの侵攻が始まったらしい」と告げると「そんな情報はありません」「フェイクニュースではないですか」と落ち着いた様子。だがすぐにスーツケースを引いたりリュックを背負ったりした宿泊客が増え始め、従業員も血相を変えた。外に出ると、サイレンを鳴らす救急車や軍用車が連なって走る姿も見える。

 ともかく車が必要だと思い、フロントに「タクシーを呼んでくれ」と頼んだ。「どこまでですか」「西部に行くことになると思う」とやりとりし、従業員が「分かりました。ですが車が到着するまでとても長い時間がかかります」と硬い表情で打ち明けた。それでも構わないと依頼した。

 数時間を覚悟したが、タクシーは30分ほどでやってきた。しかし運転手が「リビウに行くなんて聞いてない。無理だ」と乗車拒否。そうこうしているうちに別ホテルから徒歩で移動してきた伊東がスーツケースを引き、息せき切って建物に入ってきた。岡田はキエフの様子をまとめた原稿を東京に送ってから移動するとのことだった。

2月24日、ロシアの侵攻が始まった直後のウクライナの首都キエフ中心部。人影はまばら(共同)

 複数の旅行代理店を通して車の確保を試みると共に、伊東と私はホテル最上階の8階に上り街を見渡した。大きな窓ガラスがある朝食会場から、不安そうに従業員が指さす方向を見ると黒煙がもうもうと上がっている。「警察施設がある所だ」。ネットの地図で確認するとホテルから1キロほどの距離。さらに別の場所からも次々と煙が上がるのが見え、「ドーンッ」という砲撃音も聞こえた。断続的に飛行音が響き、キエフ在住が長いという近くにいた男性が「このあたりで飛行機の音を聞いたことは今まで一度もない」と教えてくれた。

 こうした様子を原稿にまとめて本社に送りつつ、岡田が長距離移動のために水や食べ物の買い出しを開始。午前7時ごろには3人共、キエフを出るという方向で考えを固めつつあった。しかし東京本社は「キエフにとどまるのが一番安全だ」との意見。欧米メディアの記者たちは既に脱出し始めており、道路では大渋滞も起こっていた。キエフとリビウの間の道路が破壊されたとの未確認情報もあり、移動中のリスクを想定すると決断できない。

 記者として現場に残り取材を続けるべきだとの葛藤もあった。「キエフは日本の京都のような場所でありロシアにとっても重要なので中心部の破壊はない」との本社デスクの予想も一理あるように感じる。正直私は前日夜までロシアがキエフを攻撃することはあり得ないと思っていた。それが外れたことでプーチン大統領が次に何をするか全く分からないという恐怖もわき上がっていた。現時点ではキエフ中心部にとどまるのが安全だとしても、明日にはまた局面が変わって市外に出られなくなることもあるのではないか。

 シリアやイラク、パレスチナ自治区ガザなど、これまでも紛争地で取材したことはあった。だが本社に「ここから退避すべきだと思います」と伝えたのは今回が初めてだった。

2月24日、ウクライナの首都キエフから西部リビウに向かう幹線道路ですれ違った軍用車(共同)

 ▽つかまらない車

 正確な時間は覚えていないが、その頃には車の手配を一手に引き受けていた岡田から連絡があった。「リビウまで行ってくれる車と運転手が確保できた」。ホテル到着まではまだ時間がかかるようで、その間に街の様子の写真を送ったり、原稿を差し替えたりした。

 本社も車が確保できるのなら退避してもよいとの判断に傾いていったようで、じりじり待っていたところ、岡田から再び連絡。「結局運転手から断られた。引き続き別を当たる」。そもそも退避を決めたところで、足がなければ意味がない。今日中の移動開始は無理かもとの思いがよぎる。列車移動も考えたが、鉄路は空襲の標的となる可能性もある。

 再び車確保の連絡が来たのは正午ごろだった。1時間ほどで運転手が岡田のホテルに来るという。そこからこちらまでは徒歩20分の距離。午後1時過ぎに出発できれば、500キロ離れたキエフからでも今日中には着くだろう。ただ先ほどの件もあり、またキャンセルの知らせがくるのではないかと疑心暗鬼になりながら何度も時計を見る。1時間が過ぎた。ダメか…。間もなく2時間。本社から最初に電話を受けた午前5時から9時間がたとうとした時、突然岡田がホテルロビーに現れた。「早く」。3人で車に飛び乗り避難行が始まった。

キエフからリビウまでの退避ルート

 ▽バレリーナの無念

 キエフから出る前に、われわれはもう一カ所に寄らなければならなかった。岡田が数日前に取材で知り合った中林恭子さん(22)をピックアップするためだ。名門キエフ・バレエのダンサー。ロシアの侵攻が始まってからも、25日夜に公演を行うと考えていた中林さんは最初市内に残るつもりで簡単な荷物だけ持って友人宅に身を寄せていた。しかし状況はどんどん悪化し、バレエ団から公演は当面中止にすると一斉メッセージが入った。ならばウクライナにとどまる理由はない。だがどうやって避難すれば…。「一緒に行けますか?」中林さんから電話があったのは、岡田が運転手と落ち合いホテルを出発する10分前。午後1時半だった。友人宅のアパートから走って出てきた中林さんの荷物はリュックのみ。「公演がある限りキエフを離れない」と決めていた。ロシアでもバレエを学び、昨年10月からキエフ・バレエで踊り始めたばかり。車に乗り込んだ彼女には複雑で無念そうな表情が浮かんでいた。

 ▽逆走してでも

 滑り出しは順調に思えた。通行止めになった箇所が多数に上るとの情報だったが、運転手がうまく迂回を重ねてくれたのか車はどんどんと首都中心部を離れていく。窓からは現金自動預払機(ATM)に並ぶ列や大荷物を持って歩く家族、ヒッチハイクする人、寝袋を抱えて歩く人の姿が見える。あまりに渋滞がひどければ途中で引き返す選択肢も頭にあったが、交通量は多いものの一定程度は流れている。午後4時11分。ホテルを出発して2時間余りで本社に「キエフは抜け出したと言っていい所までは来た」とメールした。

 しかし幹線道路を進み出すと徐々に車は動かなくなった。片側4車線ははるか先までびっしりと埋まっている。対照的にがらがらの反対車線を時折、ウクライナ国旗を掲げた戦車や装甲車、兵士を乗せた軍用車が猛スピードで走っていく。ゆっくりゆっくりとしか進まないことに焦りを感じる。日没後も移動して大丈夫だろうか。いら立った誰かが口火を切ったのか、いつの間にか反対車線4車線のうち2、3車線を使い逆走し逃げる車が多数出ていた。

ウクライナの首都キエフから西部リビウへ向かう途中の都市で、食べ物を買おうと並ぶ人たち=2月24日(共同)

 ▽給油所の連帯

 ようやくキエフ西方約140キロのジトーミルが近づいてきた。州庁所在地であり宿泊施設もあるはず。平時であれば幹線道路を飛ばし2時間足らずで着く距離だが、既に3倍以上の時間がかかっている。ここを過ぎると泊まれそうな都市もしばらくなさそうだ。この調子ではリビウ着は日付が変わるのは確実。行くか残るかの議論が再燃した。東京本社からはジトーミルに泊まるよう指示があった。しかし現場では「そのまま行く」を選択した。徐々に車が流れ出していたし、運転手がキエフに戻ると言い出すのが怖かった。

 午後8時半ごろ、ジトーミルのガソリンスタンドに着いた。給油を待つ車の列。トイレに入ったり食料品を買い込んだりする人で混雑している。ともかくみんなで逃げようという連帯感が漂っているようにも思えた。ガス欠で足止めを食う事態を心配していたので安堵もした。4人ともトイレを済ませ、もう後戻りはできないと思いながら運転手に「出発してください」とお願いした。

ウクライナの首都キエフから西部リビウに向かう道中のガソリンスタンドで給油の順番を待つ車=2月24日(共同)

 ▽3時間動かず

 二度目の給油ができたのは日付が変わって25日の午前2時ごろだった。ホテル出発から12時間。なぜか断続的にスマホや携帯Wi―Fiが全く使えなくなるが、この時は本社にメールで「今、リビウまでの全行程の4分の3ぐらいまで来ました。車は流れています」と報告できた。しかし、この後、信じられないほどの大渋滞に巻き込まれることになった。ガソリンスタンドを出て幹線道路を進むと車が動かなくなった。運転手が機転を利かせてくれ、下道に出て迂回を試みる。舗装されていない悪路をガタガタと激しく揺れながら、交通量の少ない道を探すが、どこに行っても長蛇の列に突き当たる。対向車線にはみ出してから山道をぐるりと回ったがまた渋滞。結局、元の幹線道路に戻った。ここから3時間以上にわたって車はほぼ動かなかった。

 ▽空襲警報

 ポーランド国境から脱出しようとする車の列がわれわれがいる地点まで続いているのではないかと本気で思った。しかし大渋滞の実際の原因は途中にあった検問所。午前7時前にそこを抜けると、これまでがウソのように道路がすいている。車が速度を上げ走り始めて間もなく、道路右脇にリビウまでの距離が表示された標識を初めて見つけた。「97キロ」。この状況が続くなら目的地に到着するかもしれない。逆サイドの窓の外を見ると、既に美しい朝焼けが広がっていた。

2月26日、ウクライナ・リビウのホテルに張り出された地下シェルターの場所を示す紙。英語で「落ち着いて!」と呼び掛けている(共同)

 標識に記されたリビウまでの距離がどんどん小さくなっていく。午前8時45分にあと「10キロ」。そして午前9時34分。リビウのホテルに到着した。キエフのホテルを出発してから19時間半。ロシア侵攻開始の知らせを受けてから30時間近くがたっていた。われわれを無事に連れ出してくれた運転手と握手しながら、彼はこれからキエフに戻るのだという事実に初めて思い当たった。そして安全だと思ってたどり着いたリビウでも、散発的にけたたましい空襲警報が鳴り響いていることをわれわれの誰もまだ知らなかった。

 ガソリンスタンドのコンビニの食料は売れ切れ。キエフを出てから口にしたのはバナナ1本、同僚たちと分け合ったサラミだけだった。

© 一般社団法人共同通信社