福島市出身でサッカーJ2栃木SCの時崎悠(ときさきゆう)監督(42)=作新学院高出=は、東日本大震災が発生した2011年3月11日、福島市内で被災した。現在J3で当時は東北社会人リーグ1部所属だった福島のコーチ兼選手として、チーム活動や復興支援に奔走。原発事故による活動制限を乗り越え、監督に就任した翌年、チームを日本フットボールリーグ(JFL)昇格に導いた。逆境で学んだ「諦めなければ何とかなる」という思いを胸に栃木SCのJ1昇格を目指す。
11年前の地震発生時、JR福島駅近くで乗用車を運転中だった時崎監督。信号待ちで突然激しい揺れに襲われた。「誰かのいたずらかなと思ったが、たくさんの人の悲鳴で地震と気付いた」
すぐさま戻った福島市内の自宅に大きな被害はなく、家族の無事も確認。しかし、東京電力福島第1原発事故で状況は一変する。4月予定だったリーグの開幕は延期され、チームも活動を停止。市内で放射線量が上昇し、被ばくを恐れた選手7人が退団した。
「自分が福島の人間でなければやっていけなかった」。残った選手、スタッフが避難所を回り、支援物資の配布などを開始。さらに子供たちとサッカーを楽しむ活動に取り組むと、協力を申し出る人が増えてチームへの理解も深まった。
リーグは5月中旬に再開したものの、福島県内の活動はできないまま。練習は宮城や山形にバスで連日遠征した。「サッカーどころではない」と心は折れかけたが、懸命に支援活動に励んだチームにスポンサーや行政、サポーターから温かい激励が届いた。
「復興のシンボルに、と言ってもらえた。福島を元気にするためJFLに上がりたいとより強く思った」。全試合県外開催の悪条件を乗り越えリーグ制覇。監督に就任した翌年に連覇を果たし、JFL昇格を懸けた全国大会を勝ち抜いて地元へ歓喜を届けた。
昨年は福島を率い、今季は高校時代を過ごした地でJ2での初めての指揮に挑む。愛する故郷を離れたが、震災を経験して得た姿勢を貫くつもりだ。「諦めなければ道が開けることを学んだ。厳しい道でチャレンジしていきたい」