東日本大震災11年 「放射線やリスク学ぶ環境を」 長崎大、教育拠点への参画目指す 長崎大・原爆後障害医療研究所 高村昇教授

「放射線科学やリスクコミュニケーションを世界の人が学べる環境を福島につくりたい」と語る高村教授=長崎市坂本1丁目、長崎大原爆後障害医療研究所

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、現地で放射線量調査や健康管理などの復興支援を続ける長崎大。事故から11年が過ぎ、記憶の風化や復興状況の地域差といった課題も浮き彫りになる中、どんな展望を描くのか。原爆後障害医療研究所の高村昇教授(53)は、国が福島県内に計画する国際教育研究拠点への参画を目指し「集積した経験を生かして、放射線科学やリスクコミュニケーションを世界の人が学べる環境づくりを進めたい」と語る。

 高村氏は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後の医療や研究支援に従事。福島でも事故直後から住民に放射線の知識を伝え、相談を受けてきた。福島県が20年9月に開設した「東日本大震災・原子力災害伝承館」の初代館長も務める。
 長崎大は13~21年、同県の川内村と、富岡、大熊、双葉各町との協定を順次締結。放射線の影響調査や、正しい知識や情報を伝える「リスクコミュニケーション」などを通じて避難者の帰還と、その後の生活を支えてきた。
 ただ「復興の進み具合は地域で異なる」と高村氏。同原発は大熊、双葉両町に立地。放射線量が比較的低く住民の8割が戻った川内村は「一定の復興が終わり、次のフェーズにいく段階」の一方、大熊町は今春避難指示が解除され、本格的な帰還が始まる。双葉町の大部分は避難指示が解除されておらず、帰還者はゼロだ。「今の小学6年でも当時1歳で事故の記憶はなく、物心ついた時から避難先で暮らす。親世代とは古里への思いが異なり、放射線についてどう教え、帰還につなげるのかという問題もある。今後も丁寧なアプローチが必要」という。
 一方で高村氏は「復興が進む川内村などから学ぶことは多い」として、放射線災害に向き合ってきた経験を活用することも必要だとする。国内外の原発立地自治体の関係者や、危機管理に携わる研究者らを「交流人口」として呼び込むことで雇用や消費を生む-との考えがある。同大では2年前から、世界の被ばく医療専門家がオンラインで参加する国際セミナーも実施しており、将来的には福島での現地開催も検討中だ。
 「まずは福島県内の若者が放射線や安心安全に暮らせる環境について学べて、国内の自治体職員や大学生らも来て学び、世界の研究者も訪れる。そんな『3層構造』の教育拠点を作ることが、長崎大の役割ではないか」と高村氏は語る。
 今も3万人を超える被災者が避難を続け、原発の廃炉作業には数十年かかるとされる。高村氏は「福島には未解決の課題が多く残されている」と強調。その上で「福島産の食材を買ったり、コロナが落ち着いたら福島を旅行したりと、たとえ小さな支援でも復興を加速させる役に立つはずだ」と協力を求める。


© 株式会社長崎新聞社