【東日本大震災11年】平塚市職員「遺族の心の傷癒えず」 宮城・石巻で震災遺構整備に尽力

派遣された石巻市で震災遺構整備に携わった松尾さん(本人提供)

 平塚市が宮城県石巻市と災害時相互応援協定を結んで25年を迎えた。2011年の東日本大震災以降、平塚市は同協定の一環として復興事業に協力する職員を切れ目なく派遣しており、これまでに延べ101人が参加した。20年4月から1年間、震災遺構を後世に残す仕事に携わった市産業振興課の松尾奈保さん(34)は「被災者遺族の心の傷はまだ癒えていない。震災を忘れてはいけない」と胸に刻んでいる。

◆今しかできないことを

 津波に襲われた石巻市は、関連死276人を含む死者・行方不明者3970人(21年10月末現在)の犠牲者が出た東日本大震災最大規模の被災地とされる。

 松尾さんは、同じく平塚市職員の夫(32)が石巻市の災害支援に従事した影響もあり、自らも「今しかできないことをやりたい」と申し込み、20年4月から21年3月まで同市震災伝承推進室の事務職員として勤務した。平塚市の女性職員で1年に及ぶ長期派遣は初だったという。

 主に携わったのは、石巻市が計画した震災遺構の整備事業。児童、教職員合わせて84人が亡くなった同市立大川小学校や、津波と火災による被害の痕跡が生々しく残っている同市立門脇小学校の校舎を保存して震災の教訓を伝える仕事だ。

◆これからも市民目線で

 工事の進展状況や運営管理の方針、展示内容の精査などに関わり、「最初はぽっと入った私に何かできるのかという不安があった。被災者の気持ちが理解できているのか」と悩むこともあったというが、周囲の支えで職務を全う。大川小は昨年7月から一般公開が始まり、門脇小も今年4月から公開される。

 松尾さんが最も印象に残っているのは、同市が昨年3月11日に設置した慰霊碑の除幕式。碑には犠牲者の名前が刻まれており、最愛の家族を失った遺族がいとおしそうに名前に触る光景を目にして「月日がたっても遺族の心の傷は癒えていない」ことを肌で感じた。

 「(震災遺構整備を通じ)市民だけでなく、世界も含めいろいろな人へ発信していく重要な仕事ができた。今後に向けてすごく良いものが得られた」と松尾さん。貴重な経験を生かし、これからも市民目線で業務に取り組む。

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