長崎県被爆者手帳友愛会、解散 「数の力減り申し訳ない」

「県被爆者手帳友愛会」を解散する経緯について説明する(右から)濵田副会長、永田会長、野口副会長=長崎市役所

 長崎の被爆者5団体の一つで、31日をもって解散する「県被爆者手帳友愛会」の役員3人が30日、長崎市役所で会見した。永田直人会長(89)の体調不良に加え、高齢化した役員の中にも後継者が見つからず解散に至った経緯を説明。永田会長は「5団体で結束して活動してきたが、解散で4団体となり数の力が減る。申し訳ない」と語った。
 友愛会は1979年、別の被爆者団体「県被爆者手帳友の会」から一部が分かれる形で結成。当初は2万4千人の会員がいたが、現在は約500人。国が定めた被爆地域の拡大や、地域外で原爆に遭い被爆者と認められない「被爆体験者」救済に力を尽くした。
 永田会長は「100メートル歩くと脚がしびれる」と自身の体調を明かし、「役員は全員80歳を超えて体調不良が生じ、会の運営に支障を来している」と現状を語った。同席した濵田眞治副会長(84)は「被爆体験者全員が被爆者と認められるまで闘うのが使命と思っていたので、解散は身を引き裂かれる思い」と心境を吐露。他の被爆者団体では、被爆2世ら若い世代が運営に携わるケースもある一方、事務局長を兼務した野口晃副会長(81)は「友愛会は被爆2世を活動に引き込む運動をしてこなかった」と振り返り、若返りが難しくなっていた状況を説明した。


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