【うつりゆく東海道】日本の二大都市、東京~大阪の所要時間の変化

東京と大阪、この二つの都市は江戸時代から現在に至るまで日本の二大都市として特色を変えつつも君臨してきた。そして鉄道も東京と大阪を結ぶことから始まり、今から133年前の1889年4月16日に東海道本線は全線開業した。

今回はそんな二大都市を結ぶ鉄道の変化を、所要時間の観点から述べていきたいと思う。

東海道本線開業前

主題からは逸れるが、鉄道ができる前、即ち江戸時代にはどのくらいの時間がかかっていたのか見ていきたい。

当時の主な交通は徒歩、あとは駕籠ぐらいだった。当時の日本では高温多湿な気候の影響で、未舗装の東海道はぬかるみだらけであり、馬車などの乗り物は使い物にならなかった。そのため、東京から大阪まで片道14日間もかかっており、沿道の宿場町は参拝客や参勤交代で大いに賑わうことになった。

ちなみに配達や郵便の役目だった飛脚は東京~大阪を最短3日で踏破している。もちろん一人で運んだわけではなく、リレー形式で運んでいるのだがそれでも速い。ただ、どんなに速くても1日ではたどりつけるはずもなく、日帰りなど夢のまた夢だった。

東海道本線全通後

1872年、新橋~横浜間で日本発の鉄道の正式開業が行われると、東京と大阪をつなぐため急ピッチで建設が進められた。途中、ルートの大規模変更があったものの、1889年4月16日に全線開業した。ただ、現在の東海道本線とはかなり違い起点は東京駅ではなく新橋駅(今の汐留付近)、熱海経由ではなく御殿場経由、ほとんどの区間が単線で全線が非電化など今と比べると非常に軟弱な設備になっている。

全線開通時、1日1往復のみ全線を運行する列車があり片道約20時間かかった。今からすると長く感じるが、それまで徒歩で14日、蒸気船で3日かかっていた当時からすれば、1日で大阪まで行けるのは衝撃だっただろう。

初の急行列車、特急列車と複線化

1896年、東海道本線で初の急行列車が導入された。すでに関西や御殿場付近が複線化されていたのもあり、新橋と大阪を15時間35分で結んだ。

日清戦争後、日本では軽工業が大きく発展し、それに合わせて東海道本線も関東と関西を中心に複線化が進められた。急激に発達した工業製品の輸送需要に応える必要があったのだ。

1912年、明治の終わりに東海道本線に初の「特別急行」、つまり特急が運行された。この列車は新橋~下関まで運転され、当時ヨーロッパからの政府要人が多く利用したという。この列車により新橋~大阪を11時間54分で結ばれた。そして翌1913年に東海道本線は全線複線化することになる。

二本の長大トンネルと「超特急」燕

特急 燕のヘッドマーク

元号は大正に変わり、鉄道は黄金期を迎えることになる。

1914年には東京駅が開業し、東海道本線の列車はすべて東京駅始発となった。

そして1921年、長大トンネル一本目の新逢坂山トンネルが大津~京都間で開業する。このトンネルでそれまでは今の稲荷経由で迂回していたルートが一直線で結ばれることになり、距離が4.5キロも短縮。特急列車のスピードアップに貢献した。

1930年に「超特急」燕が運行開始、東京~大阪を8時間20分で結び、当時から戦後に至るまでの看板特急となった。

1934年、16年もの歳月をかける難工事の末、二本目の長大トンネルの丹那トンネルが開通した。これにより勾配の急な御殿場経由から熱海経由へとルートが変わり燕の所要時間は8時間となり20分も短縮した。

電化と日帰り可能な時代へ

151系 特急こだま

戦後、これまで防衛上の目的で非電化だった東海道本線も電化が進み、1956年に東海道本線は全線電化した。これにより牽引列車はSLから電気機関車に変わり、東京~大阪間は7時間30分となった。

1958年、東海道本線に「特急こだま」が151系電車で運行された。従来の客車列車ではなく特急型電車で運行したこの特急は、東京~大阪を6時間30分で結び現在に至るまで、東海道本線最速の所要時間となった。行きも帰りもこの列車を利用することでついに東京~大阪は日帰りが可能になった。この列車は国鉄に大きな影響を与え、「夢の超特急」へつながることになる。

夢の超特急

0系新幹線の初期型

1964年、当時斜陽産業と呼ばれ、陽の落ちかけた鉄道業界に時計の針を巻き戻す出来事が起こる。東海道新幹線の開業だ。世界初の高速鉄道として時速210キロで走った0系新幹線「ひかり」は東京~新大阪間を4時間で結び、世界の鉄道関係者に衝撃を与えた。

翌1965年、路盤が安定した東海道新幹線は全線に渡って210キロ運転を開始、東京~新大阪間3時間10分となり、日本の大動脈として現在まで支えることになる。

「のぞみ」の始まり

東海道新幹線のスピードアップはしばらく国鉄の台所事情の悪化によって見送られ、1980年代まで所要時間は変わらないままだった。

1986年、国鉄最後のダイヤ改正で最高速度が時速220キロにアップ。東京~新大阪間を2時間56分で結ぶ。

1987年、国鉄は分割民営化し、東海道新幹線はJR東海が運営することになる。JR東海はすぐに新型の車両を開発し、東海道新幹線のスピードアップを図った。

1992年、300系が運転を開始。新愛称「のぞみ」となり最高速度は時速270キロにアップした。東京~新大阪間2時間30分となり、「のぞみ」は新幹線の新しい顔として走り続けることになる。

現在、そして未来へ

豊橋駅を通過するN700系新幹線

現在の主力列車はN700S系で最高速度時速285キロ、東京~新大阪間2時間22分で結んでいる。

そして2027年、リニア中央新幹線が品川~名古屋間、2037年には名古屋~新大阪間で開業する予定だ。開業すると最高速度は時速500キロ、品川~新大阪間を67分でつなぐ計画だ。東海道本線が全線開通してから148年、1日かかっていた東京~大阪は1時間で行ける時代になるのだ。

現在建設中のリニアは最高速度603キロを記録しており、まだまだスピードアップの余力を残している。長旅で行く場所だったのを気軽に行ける時代にした鉄道の功績は大きい。東京と大阪の二つの都市の距離はこれからどんどん狭くなっていくだろう。

【著者】東洋大学鉄道研究会

東洋大学鉄道研究会は、東洋大学白山キャンパス第一部の公認サークルです。「旅を楽しむこと」ことをメインに活動しており、日帰り旅や年2回の合宿、学園祭での企画展示などを行っています。

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