いのちをふたつもちしものなし

 歌人の土岐善麿(ときぜんまろ)が1940年、日中戦争の報道写真を目にして詠んだという。〈遺棄死体 数百といひ数千といふ いのちをふたつ もちしものなし〉。戦死者は数百とか数千とか大まかな数が伝わるが、どれもかけがえない、たった一つの命なのだ、と▲ウクライナから届く知らせは「残忍」の色合いを濃くしている。亡くなった一人一人に家族がいて、友人がいて、これから開花する人生もあったろうと、思いを巡らす時間が日一日と長くなる▲罪のない市民、民間の住宅や施設がロシアの攻撃の的になる。紙面を繰れば、心を痛めながらご自身の戦争体験と重ねる読者の皆さんも数多い▲空襲警報が聞こえると〈草むらに飛び込んで伏せていた〉戦時中を思い出す、と長崎市の佐伯志保さん(89)は3日のオピニオン欄に記している。ロシア軍に焼け野原にされた町と、記憶の中の戦争の風景が二重写しになる人もいる▲島原市の馬場フミヱさん(88)は、母や弟と旧満州から〈命がけの逃避行〉をした体験がよみがえるという。ウクライナの避難民の無事を〈思わず手を合わせて祈ります〉と、14日のオピニオン欄にある▲遠い国の一つ一つの命と、わが身を重ねる。〈いのちをふたつ もちしものなし〉のまなざしを、身をもって戦争を知らぬ世代も忘れまい。(徹)

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