女性ゆえの原爆被害映像化 顔に傷痕、夫と死別… 体験記を基にイラスト交え 長崎・追悼平和祈念館

映像作品「女性たちの原爆」のワンシーン。ある女性は原爆で顔に傷を負い、周囲の無理解や偏見に苦しんだ=国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

 長崎市平野町の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で、原爆に健康や家族を奪われた女性4人の体験記を基にした映像作品が放映されている。ある人は顔に残る傷痕によって差別を受け、ある人は夫を亡くし生活苦の中で2人の子を育て上げた。作品名は「女性たちの原爆」。女性であるがゆえに背負わされた苦しみや絶望、その中で必死に生きた姿を描く。
 同館は2018~20年度に同名企画展を開催しており、展示資料などを使って映像化した。手記の一部をナレーターが読み上げ、映像には本人の写真や同市の漫画家マルモトイヅミさんが描いた15枚のイラストも交えた。15日から、同館交流ラウンジのモニターで放映を始めた。
 女性4人は被爆当時13~32歳。結婚や出産、子育てなど、戦後も多くの困難に直面した。
 16歳で被爆し、顔の右側に傷を負った故淵本玲子さん。厚い化粧を施して傷痕を隠し、親戚の仲介でお見合い結婚をした。「『素顔の私を』と望みましたが、(周囲に)『傷を見せては話がまとまらん』と一蹴されて黙っておりました」。結婚してから傷痕に気付いた夫は、後に「傷があると分かっていれば結婚しなかったかもしれないし、親族も反対しただろう」と吐露したという。玲子さんは生涯傷を隠し続けた。
 故山田セモさんは32歳の時、7歳と2歳の娘2人と自宅にいて被爆。1週間以上たってから、長崎市の中心部で一部が骨になった夫の遺体を発見し「自分の骨もバラバラになった感じ」で、立ち尽くした。その後の母子3人の暮らしについては、口を閉ざす。「書きたくない。生活とは言えない。ただ生きてきた。辛うじて生きてきた」
 14日に同館で試写会があり、セモさんの孫で神奈川県在住の藤井光太さん(48)も来場。「被爆体験を直接聞いたことがなく、自分が知る、優しく明るい祖母のイメージと違った。映像はイラストもあり子どもたちにも分かりやすく、原爆の恐ろしさや壮絶さ、命の尊さがよく伝わると思う」と感想を語った。


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