【幕末維新 山口れきし散歩】 No.27 「金徳寺(現・法華寺)」

▲風雲急を告げる(山口市徳地堀)

 「一、三田尻引払、徳地へ引移候事。一、徳地引越に付、隊中規則加入いたし、隊中惣人数へ相達候事。一、徳地陣屋割、左之通相定候事。正慶院、本陣。澄月院、第一銃隊、弓隊。多念寺、第二銃隊。金徳寺、第三銃隊。妙楽寺、鎗隊。妙蓮寺、製練場。宗徳寺、狙撃隊」

 1864(元治元)年、幕府は諸藩に第一次長州征討の令を発した。これに対し徹底抗戦の構えを見せる奇兵隊と膺懲隊(ようちょうたい)は、10月20日、それまで駐屯していた三田尻(防府市)を引き払い、要害の地、徳地へと移陣した。

 当時、隊士たちの合言葉は「徳地の弔い合戦」。それまで静かであった山里の地も、にわかに騒々しくなった。

防長史談会山口支部長 松前了嗣

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