命を預かる「運転手」

 詩人の吉野弘さんに「ヒューマン・スペース論」と題する一編がある。〈バスの運転手が/運転台に着くと/バスの運転手は/四角なバスである〉。詩はこう始まる▲運転手は自分の内部に客を乗せて走るのだ、と詩人は言う。〈内部に配慮をみなぎらせ/…荷電体のように走る/彼〉。バスそのものである運転手は、乗客を自分の体の一部のように感じるだろう▲この「運転手」は、命を預かる仕事に関わる全ての人に置き換えられる。オホーツク海の沖から、半島沿岸の景色を見る観光船も同じだろう。〈内部に配慮をみなぎらせ〉、運航する側が船そのものであってこそ、客は洋上のひと時を楽しめる▲海がしける、危ないぞ、と同業者は出航しないように告げたという。北海道・知床半島沖で26人が乗った観光船が遭難した事故は、悲痛な死亡の知らせが届き、「捜索が難航」の知らせが続く。荒天が予想されるのに船を出し、惨事を招いたという見方が強い▲「稼ぎたい」「稼がねば」という欲や焦りがまさって安全にふたをしたとすれば、わが身に客を乗せるどころか、客の命を忘れたに等しい。どんなに恐ろしく、冷たかったか。海に沈んだ命を思うと胸が詰まる▲〈他人の運命を/君自身の運命と感じるように〉…。詩の後段の一節を当事者はどう聞くだろう。(徹)


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