窃盗先の家族写真 やり場のない憎しみ覚え 第2部 更生とは何か・5

生きるために空き巣を繰り返していた当時を語る西川

 黒のスーツにビジネスバッグ。一見サラリーマンの姿をした西川哲弥=仮名=は、郊外に向かう列車に揺られていた。
 車窓の外を眺め、空き巣ができそうな住宅地を見つければ次の駅で下車する。物欲はない。ただ、生活できればよかった。真面目に働いて生活しようとしても、社会から聞く耳を持ってもらえず、生きていくのに盗みしかなかった。
 住居に侵入し、金品や金券などを盗む。スーツを着るのは日中、住宅街を歩いても怪しまれないためだ。“仕事”が終われば、その土地の物を食べ、カプセルホテルや漫画喫茶に泊まる。20歳ごろから九州北部を中心に転々としながら、そんな生活を送っていた。
 罪悪感もあったが、それより孤独感が勝った。住居に侵入し、まず目につくのは居間にある家族写真。笑顔の明るい表情を見ると「なんで自分には親がいないんかな」「父と母がいて兄弟がいたらこんな感じなんかな」なんて考えて、やり場のない憎しみや怒りが込み上げた。「自分の苦しみや孤独を味わえ」という気持ちもあった。
 西川は46歳まで7回服役した。留置場や拘置所を含めると、人生の半分を鉄格子の中で過ごした。いつも刑務所を出て1カ月後には、再び窃盗を繰り返していた。初めは心配してくれた人もいたが、何度も捕まるうちに頼れる人がいなくなった。
 「俺、何しよんかな」「なんでこんなところ、いよんのかな」。毎回、刑務所で1人の時間ができるといろんなことを考えた。子どもの頃、正月に養護施設から帰ると、年金暮らしの祖父母が普段食べられないごちそうを作ってくれたこと、近所の人がお裾分けしてくれたこと、「親のことは忘れて人生を楽しみなさい」といつも言われたこと-。かわいがられた記憶や祖父母の口癖を思い出すと窃盗をやめようという気持ちも湧いた。それでも繰り返してしまった。
 「一緒に長崎でやり直しませんか」。佐世保刑務所で6回目の服役中、長崎県地域生活定着支援センター所長(当時)の伊豆丸剛史に出会った。寄り添ってくれる気持ちに胸が熱くなり、心の中で「助けてほしい」と願った。だが人付き合いは苦手で、迷惑もかけたくない。何より目標がないのに出所後の生活がイメージできず、また罪を犯してしまうだろうと諦めもあった。何か一つでも胸を張って言える仕事がしたかった。
(敬称略、連載6へ続く)

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