「島原大変」の犠牲者を供養 南島原 寛政の火山・津波災害

島原大変の犠牲者を追悼した供養祭=南島原市口之津町

 1792(寛政4)年に起きた火山災害「島原大変」の犠牲者を追悼する供養祭が1日、南島原市口之津町の白浜海水浴場そばの「島原大変殉難死者無縁精霊供養塔」前で営まれた。
 島原大変は雲仙・普賢岳の噴火活動に伴う地震で眉山(島原市)が崩壊。有明海に流れ込んだ土砂で津波が発生し、約1万5千人が犠牲になったとされる。約36キロ離れた現在の同海水浴場周辺にも多くの遺体が漂着した。
 供養祭は、大変の起きた旧暦4月1日前後に地域住民らが1969年から毎年開催。78年に数十柱以上の遺骨が納められた供養塔を建立した。松本政博市長ら11人が参列。読経や焼香をして犠牲者を悼んだ。発起人の寺田喜三代表(89)は「災害の教訓を忘れないよう語り継ぎたい」と話した。


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