89歳男性が語る横浜大空襲 その時「本牧の海が燃えた」

横浜大空襲の体験を語った柴田さん=横浜市中区

 死者8千人以上とも言われる横浜大空襲から29日で77年。ロシア軍によるウクライナ侵攻が続くさなか、戦争の惨禍を身をもって知る体験者は平和を訴え、記憶を伝え継いでいる。

 防空壕(ごう)に飛び込み、爆風で飛ばされそうなふたを必死で抑えた。しばらくして外を見ると、そこは火の海だった─。中学1年の時、横浜・本牧地区で大空襲を体験した柴田順吉さん(89)が28日、市内の催しで講演。77年前の「その時」を振り返った。

 火から逃れるべく、父とともに海を目指した。その途中も焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ。別の壕に逃れたり、船の陰に隠れたりした末、海に飛び込んだ。

 「今度は海が燃えているんです」。B29が投棄したガソリンタンクや焼夷弾から出た油に火が回っていた。炎をかき分けて上陸後、知人の家で休み、家族の無事も確認できた。だが、自宅に戻ると、ほとんど何もない。防空壕の中に残った近所の人は、一酸化炭素中毒で亡くなっていたという。

 「戦争は一番悪い犯罪。(危機をあおるような)政治家にだまされたら駄目です。戦争をやったら死にます」と柴田さん。「武装するよりも平和のほうが国民の安全を絶対に守る」と訴えた。

 現在は旧ソ連諸国の人たちとの親善などを行う県日本ユーラシア協会の顧問を務め、1960年代には横浜市とウクライナ・オデッサの姉妹都市提携に尽力。現地も3回訪れた。ロシア軍によるウクライナ侵攻については講演後、「『停戦し、平和な話し合いを』と訴えることが大事。世論の力は決して無駄ではない」と強調した。

© 株式会社神奈川新聞社