つなぐ記憶、伝える教訓 雲仙・普賢岳大火砕流から31年 

約1200本のろうそくに明かりをともした追悼行事「いのりの灯」。親子連れらが鎮魂の祈りをささげた。後方は平成新山=3日午後7時47分、島原市の雲仙岳災害記念館

 長崎県の雲仙・普賢岳噴火災害で消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲になった1991年6月の大火砕流惨事から3日で31年を迎えた。遺族や市民らが、島原市内の献花所で祈りをささげ、災害の教訓を継承する決意を新たにした。
 甚大な被害を受けた安中地区の住民が集団移転した仁田町の仁田団地第一公園では、犠牲者名が刻まれた追悼碑前に、市が献花所を設置。市や県などの関係者が早朝から花を手向けた。当時、消防団員だった古川隆三郎市長は「時の経過とともに噴火災害の記憶は風化しつつある。災害の教訓や備えを後世に語り継ぐと同時に、自然との共生の大切さも市民に伝えたい」と言葉に力を込めた。
 市消防団員らは平成町の消防殉職者慰霊碑前で追悼。本田庄一郎団長は「今も溶岩ドーム崩壊の恐れがあり、災害は終わったわけではない。噴火災害を経験した島原だからこそ、若い団員に教訓を伝え、災害に負けないまちをつくっていきたい」と語った。
 大火砕流が発生した午後4時8分、市内全域にサイレンが鳴り響き、市民らが黙とう。消防団員の詰め所だった北上木場町の北上木場農業研修所跡では慰霊の鐘が鳴らされ、遺族らが「平成新山」に向かって静かに目を閉じた。報道陣の撮影ポイントだった「定点」周辺でも手を合わせる姿が見られた。
 平成町の雲仙岳災害記念館では追悼行事「いのりの灯(ともしび)」があり、島原半島の小中学生が絵やメッセージを添えたろうそく約1200本に明かりがともされ、訪れた親子連れらが鎮魂の祈りをささげた。


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