時間もいろいろ

 若い頃、手塚治虫さんはペンが進まず、編集者に「手塚おそ虫(む)」と呼ばれた。見かねた編集者は助手代わりに、こま割りの線引きやベタ(黒塗り)を覚えて腕前を上げ、やがてプロの漫画家になる人もいたという▲原稿の締め切りが迫るが、田山花袋(かたい)の筆は重い。こう述懐している。〈つまらぬものを書く。それが世の中に出る。批評される…こう思うと、体も心も隅の隅の隅に追いつめられるような気分になる〉▲遅筆の谷崎潤一郎も焦った。残した随筆を今の仮名遣いで引用すれば〈原稿が私をはね返しているように感ぜられて…あおむけに寝転んでしまい、天井を見詰めたまま三十分、一時間を空費する〉▲どの話も、締め切りにまつわるエピソード集「〆切(しめきり)本」(左右社)から引いた。漫画でも小説でも、大家(たいか)にのしかかる「時間」という重圧は並大抵ではないらしい。きょうは「時の記念日」。時間や歳月の重み、速度は人それぞれだろう▲背後から迫る時間もあれば、前方にともる明かりのような「時」もある。新型コロナの県内の広がり方が、6段階のうちの下から2番目、「注意報」に引き下げられた▲時はとどまることなく人の脇を過ぎていく。〈歳月、人を待たず〉と言うが、今は人々が脱コロナという時を待ちかねている。早く巡り合えるといい。(徹)

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