なぜ宇都宮は「ジャズの街」になったのか 市民団体に情報提供を

若き日の渡辺さん(左)とバンドを結成していた内田さん(うつのみやジャズのまち委員会提供)

 栃木県の宇都宮市が「ジャズの街」として広く知られるようになった経緯を調べようと、市民団体「うつのみやジャズのまち委員会」(吉原郷之典(よしはらごうのすけ)会長)が、戦後間もない頃の宇都宮ジャズ事情に関する情報を求めている。集めた情報は2024年ごろを目途に「うつのみやジャズ史」として編さんし、本か冊子にまとめる予定だ。

 同委員会が発足20周年を記念し、昨年から情報を収集。既にかなりの資料が集まっているが、戦後間もない頃の情報は著名な市出身のサックス奏者渡辺貞夫(わたなべさだお)さん(89)にまつわるエピソード以外、壁にぶち当たっているという。

 渡辺さんは宇都宮工業高生だった頃から、クラリネット奏者として頭角を現していた。17歳だった渡辺さんと1950年にバンドを結成したのが、当時創刊したばかりの栃木新聞記者だったビブラフォン奏者の内田晃一(うちだこういち)さん(95)=東京都世田谷区在住。

 吉原会長らが昨年内田さんに面会し、貴重な話を聞き出した。高校を卒業した渡辺さんに内田さんが東京のバンドを紹介し、渡辺さんは「2年やって見込みがなかったら家業を手伝う」と言い残して上京したという。その後の世界的な活躍はあまりにも有名だ。

 高校時代の渡辺さんは、市内の楽団に所属していたという。しかし他にどんな演奏家がいて、誰が渡辺さんに影響を与えたのか、市内にはどんな演奏場所があったのか。具体的には分かっていない。当時青春時代を過ごした人の多くは90歳を超え、語り手は年々少なくなっている。

 吉原会長は「宇都宮がどうしてジャズの街と言われるようになったのか、疑問に答えるものを作りたい」と話している。情報や資料は市教委文化課で集めている。(問)同課028.632.2763。ファクス028.632.2765。

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