広島長崎の思い伝え続ける 第18代大使の大学生、井上さん 軍縮会議でのスピーチが原動力に

医学を学びながら平和活動にも取り組む井上さん=長崎新聞社

 元高校生平和大使で広島大医学部4年、井上つぐみさん(22)=広島市出身=は6月まで3カ月間、長崎大で被爆者医療の実習に取り組んだ。二つの被爆地に関わりながら平和活動に取り組む日々。7年前、国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)で開かれた軍縮会議で、自分の言葉で、核兵器廃絶を世界に訴えた経験が原動力となっている。
 「平和」を意識するようになったのは中学2年の時。広島平和記念資料館の「中・高生ピースクラブ」に所属し、ボランティア活動を始めたのがきっかけ。2014年、広島で高校生平和大使の署名活動に参加した。
 13年、外務省は大使を「ユース非核特使」に委嘱。14年には多国間軍縮交渉を担う常設機関、ジュネーブ軍縮会議の冒頭でのスピーチが認められ、長崎選出の小栁雅樹さんが被爆地の若者の思いを届けた。四半世紀の平和大使の歴史の中でも画期的な出来事。軍縮会議でのスピーチは14年から3年続き、3人の大使が「大役」を務めた。
 「絶対大使になりたい」。当時高校1年だった井上さんはそんな決意を胸に選考会に参加。応募者約30人の中から第18代大使に選ばれ、スピーチ役を射止めた。被爆者の声や、心に残っていた詩を原稿に織り交ぜ、夢に見るくらい練習した。
 15年8月、国連欧州本部。井上さんは各国大使を見つめ英語で訴えた。「被爆者一人一人にそれぞれの未来があったと知ってほしい」「今年は被爆70年。核兵器廃絶への大きな一歩を踏み出すべき年です」
 会議の後、各国の代表から言葉をかけられた。「訴えは心に刻まれた」「若者の活動は世界で必要とされている」。思いが伝わったという喜びと同時に、使命感も湧いた。「まだできることがある。発信を続けよう」と。
 広島大医学部に進学し、授業や実習の合間を縫って平和活動を続けている。その一つが、「伝承者」として被爆者の体験を受け継ぐ広島市の事業。井上さんは、広島原爆で家族を失い、孤児となった川本省三さんの元に10回以上通って「伝承」の準備をしていた。
 6月上旬、川本さんが88歳で死去。聞き取りの原稿が未完成のため、井上さんは「伝承者」として体験を語ることができない。あらためて突き付けられた被爆者の高齢化という現実。「聞けるうちに聞かないと。時間はもうない」。活動への思いを強くした。
 大学のカリキュラムの一環で今年4~6月、長崎大原爆後障害医療研究所で実習。放射線が原因の一つとされる骨髄異形成症候群の研究に関わったほか、爆心地から3キロ以内で被爆した79人の血液を採取し症状を聞いた。後遺症が被爆者の体をむしばんでいることを知った。
 学業と平和活動の両立の難しさに心が折れかけたことは一度や二度ではない。それでも、過去3人だけスピーチを任された者の1人としてこう思う。
 「広島長崎の思いをこれからも伝え続けなければいけない」


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