日程も固まり、これから「広島サミット」に向けて準備が本格化します。
被爆地に核保有国を含むG7首脳が集まります。そのサミットで地元広島からある要望が上がっています。
笑顔で撮影に応じるG7の首脳。ドイツ南部のエルマウで開かれていたG7サミットは6月28日、閉幕しました。
来年のサミットに向けて、地元広島からはある要望が上がっています。
6月9日には湯崎知事と広島市の松井市長らが官邸を訪れ岸田総理に要請しました。
G7首脳が被爆の実相に触れる機会を設けてほしいというものです。
(広島市 松井一実市長)
「原爆資料館の視察とか、被爆者の証言を聞く調整をしていただければ」
(湯崎知事)
「やはり地元としては被爆の実相に触れていただくというの非常に重要であると思っているので」
思い出されるのは6年前の光景です。
(2016年当時のリポート)
「今、平和公園にオバマ大統領が到着しました。70年は草木も生えないと言われたこの地に、71年の時を超えて、今、平和公園にオバマ大統領が大統領専用車から降り立ちました」
現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問した当時のオバマ大統領。
原爆資料館の訪問は大統領が被爆の実相に直接、触れる機会になると期待が高まりましたが…。
(当時のリポート)
「オバマ大統領は10分も経たずに資料館から出てきました」
大統領が資料館にいたのはわずか10分間。また、資料館で何を見たのかも未だに明らかにされていません。当時、資料館の館長を務めていた志賀賢治さんです。志賀さんは館内で大統領を出迎えました。
(原爆資料館元館長 志賀賢治さん)
「正面に車が止まって、そこから入って、こう入って来られた」
大統領が見学したのは東館1階ロビー。大統領のために特別に入口から半円形に配置された展示物を見て回ったといいます。
(原爆資料館元館長 志賀賢治さん)
「いくつかの写真と被爆資料の十数点、それから最後は禎子さんが折った鶴。それを収蔵庫に収めてあった予備の鶴を全部出して、展示の最後に置いて」
佐々木禎子さんの折り鶴は大統領に直かに見てもらおうと、透明なアクリルの覆いを外したといいます。
(原爆資料館元館長 志賀賢治さん)
「明確に憶えているのは、折り鶴に腰をかがめて、その時間が一番長かった気がする。腰をかがめて、じっと見入っていた」
一方、大統領訪問が正式に決まったのが直前だったため、慌ただしく準備を進めたことが印象として残っています。
(原爆資料館元館長 志賀賢治さん)
「一番、苦労したのは、いつまでも全容が分からなかったこと。(見学)時間がほとんど取れないということも、当日か1日前かではないか。あそこ(東館1階ロビー)を展示会場として使うというのも、かなりギリギリだった気がする」
「十分に見ていただいたかどうかという、そこは不安が残っている」
大統領訪問から3年後の2019年に完成した資料館本館のリニューアル工事を担当した志賀さん。G7首脳には時間をかけて資料館を見てほしいと望んでいます。
(原爆資料館元館長 志賀賢治さん)
「原爆のきのこ雲をよく知っているという人はたくさんいた。しかし、きょう見せるのは、きのこ雲の下で何が起きていたかだ、と言って館内に入っていくと、次第に寡黙になっていって、中には、こんなことが起きていたとは知らなかったと言って帰る人もいる。広島で起きた出来事をしっかり見ていただきたい」
G7首脳に被爆者の証言を聞く場を設けるよう望んでいる人もいます。原爆資料館の元館長で被爆者の原田浩さんです。この日は高校生に被爆体験を語りました。
(原爆資料館元館長 原田浩さん)
「まだ生きていたというそういう人たちを踏み込んで、逃げざるを得なかった。こうした体験は決してあってはいけない」
1993年から5年間、資料館の館長を務めた原田さん。国内外の要人に館内を案内する中で、被爆体験を語ることの大切さを痛切に感じたといいます。
(原爆資料館元館長 原田浩さん)
「一番強く印象に残ったのは当時の天皇皇后両陛下。天皇陛下が『あなたは当時、どこにいましたか』と発言されて、私は広島駅にいましたと。『広島駅はどうだったのですか』と聞かれて、全焼全滅でしたと。迫りくる炎に追いかけられながら、命からがら命からがら、生死を分けるような中で家族一緒に逃げたのですという話をしたら、天皇皇后両陛下、全く目線をそらさない」
「誠意を持って伝えれば、間違いなく伝わるというのを身を持って体験した一つの例」
原田さんもG7の首脳による資料館訪問の行方に注目しています。
(原爆資料館元館長 原田浩さん)
「やはりオバマ大統領の時は十分に中身を見ていないということのようなので、資料館の館内の展示をしっかりと自分の目で見て、自分の気持ちの中に受け止めてもらいたいと」
「(実現は)難しいと思う。だけど、その難しさを超えて、各国の政府の思惑も超えて、日本政府として、どこまで踏み込んでくれるのか、そこにかかってくると思う」