確かな一歩 核禁会議を終えて<中> 「核被害者に光」と評価

「最終目標は核兵器の完全廃絶だ」と訴えるカザフスタンのヒバクシャ、カリプベク・クユコフさん=ウィーン、オーストリアセンター

 「私の人生は核実験の恐ろしさを示している」
 6月21日の核兵器禁止条約第1回締約国会議。壇上の男性が切り出すと、会場は水を打ったように静まり返った。両親が核実験で被ばくし、男性は生まれつき両腕がない。カザフスタンの「ヒバクシャ」、カリプベク・クユコフさん。
 旧ソ連時代、数百回に上る核実験が繰り返された同国。クユコフさんは、実験場から約100キロ離れた村で生まれた。放射線の影響か、住民の中には髪や歯が抜けたり、命を落としたりする人もいたという。
 被ばく者の子や孫の世代も健康不安を抱え、「最終目標は核兵器の完全廃絶」と訴えたクユコフさん。議場でそれを聞いていた長崎市の被爆2世、井原和洋さん(64)の胸にも訴えかけてくるものがあった。
 父は長年核廃絶運動を先導した被爆者の故・井原東洋一さん(2019年に83歳で死去)。「おやじが生きていたら、絶対に行っていたはず」と、父の遺志も胸に参加。核実験被害者の声を聞き「長崎は“最後”の被爆地ではない。二度と核の被害を繰り返してはいけない」と痛感した。
 締約国会議の主要テーマの一つが「核被害者支援」。核兵器や核実験など世界のヒバクシャが議論の行方を注視する中、会議では、すべての国による被害者支援の「即時実施」が提案された。その結果、最終日に採択された「行動計画」は、条約未加盟の核保有国とも核兵器の被害者支援と環境修復について情報交換を進めると明記した。
 日本の被爆2世らは事前に、2世ら将来世代を支援対象に加えるよう求める提言書を国連に提出したが、会議で対象範囲は明確に示されなかった。全国被爆二世団体連絡協議会の崎山昇会長(63)は、今後の議論でデータよりも「当事者の声を尊重してほしい」と求め、条約に基づく2世支援が早晩確立し、日本国内での援護施策の充実につながることを期待する。
 世界の核被害者は、今回の会議を「前進」と受け止める。1940~50年代、米英仏の核実験場となった太平洋の島国の一つ、フィジー出身の活動家ヴァネッサ・グリフィンさん(69)は「核実験による人体や海洋環境に与える影響は消え去ることはないが、核被害者に光が当てられた」と評価する。

 会議では、各国の専門家10~15人で構成する「科学諮問グループ」の設立も決まった。条約を機能させる上でのブレーン的な役割といえる。ウィーンで核廃絶と核被害の影響についてスピーチした「県被爆者手帳友の会」会長で医師の朝長万左男さん(79)も、グループメンバーの候補として名前が挙がる。
 朝長さんは期待を込めて語る。「日本の被爆者医療と援護制度のノウハウを生かさなければならない。まずはグループがしっかりと(核被害者支援の)枠組みづくりを助言すること。それが核被害者支援の出発点になる」


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