「継承」 忍び寄る“風化”に模索続く 長崎大水害から40年<5完>

木村さん(中央)からアドバイスを受け、避難計画を練る生徒=長崎市矢上町、東長崎中

 雨は降り続け、浸水状況は刻々と変化する。誰を最初に避難させる? おじいちゃん? 幼い弟? 班別に、災害時の行動をシミュレーションする生徒たち。表情はみな真剣だ。
 今月13日午後、長崎市立東長崎中(川本哲也校長、692人)であった防災教室。八郎川慰霊の灯実行委代表で、防災士の資格を持つ木村武夫さん(42)が講師役を務め、1年生221人が参加した。同校では昨年に続き2回目。
 長崎大水害で甚大な被害が出た東長崎地区。木村さんは2019年から、同地区の市立小学校6校で特別防災教室を開催している。「親世代で大水害を知らない人も増えた。子どもたちがどこに行っても防災に取り組めるようになってほしい」との思いからだ。
 「被害が発生する場所を予測するのが難しかった」「友だちとSNSで連絡を取って、すぐに避難できるようにしたい」。生徒たちは口々に感想を語り、木村さんは手応えを感じたようにうなずいた。
 長崎大水害から40年。当時を知る人は次第に少なくなり、「風化」が忍び寄っている。水害の怖さや命を守るための具体的な計画をどう語り継いでいくか。手探りが続く。

 17日、長崎市鳴滝地区で営まれた慰霊祭。県内外から約50人が参列し、慰霊碑に花を手向けた。同地区では土砂崩れなどで24人が亡くなったり行方不明になったりした。水害後、慰霊祭を続けてきたが、住民の高齢化などに伴い継続も危ぶまれる。
 大水害の体験と教訓を継承していくため、自治会が今年初めて取り組んだのが記録誌の製作だ。同地区で水害を経験した14人が体験談を寄稿。慰霊祭で130部を配った。北川壽樹鳴滝町西部自治会長(79)は「慰霊祭などは可能な限り続けていきたいが、いつまで続けられるかは分からない。(記録誌を)地域住民が防災意識を持ち、災害から身を守るための一助にしてほしい」と話す。
 「家が丸ごとなくなっていて愕然(がくぜん)としました」「バケツをひっくり返したような激しい雨となりました」「生まれて17年間住んだ家が一瞬にして全壊しました。残念なことに両親が発生から5日後に遺体となって発見されました。親の手にはお念珠が握られていたと伺いました」…。あの夏の雨の生々しい記憶が収められた記録誌。文章を寄せた同自治会の永田美知子さん(71)はこう語る。
 「すごく怖くて当時のことを思い出したくはない。でも実際に文章にすると、書き尽くせないほどの体験をしたのだな、と思う。同じような被害を繰り返さないため、これからも災害の体験を伝えていきたい」

=おわり=


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