「また明日ね」

 「ハロー・スミテル、シー・ユー・トゥモロー」。長崎港から稲佐山を見上げるような構図のポスター。真ん中あたりに赤い英文字で小さくこう記されている▲1945年8月9日の朝、郵便局の夜勤を終え、祖母が届けてくれたお弁当を平らげると、彼は赤い自転車で配達の仕事に出掛けた。途中で後輪のパンクに気づいて西浦上郵便局に立ち寄り、慌ただしく修理を済ませると再び配達へ▲〈…右手に住吉神社に通ずる小さい道があり、その先の三菱工場の女子寮に配達する手紙があった。この細い道を入ると、白いシャツ姿の子供たちが遊んでいるのが見え、子供たちの方も彼の姿を認めた〉▲あ、いつもの郵便のお兄ちゃんだ。「こんにちは、稜曄(すみてる)さん、また明日ね」。声が弾んだ瞬間、〈すさまじい轟音(ごうおん)〉と〈眼の眩(くら)む閃光(せんこう)〉と〈青白色の恐るべき輝き〉が、彼と子どもたちと、周りのもの全てを襲った。子どもたちに「明日」は来なかった▲被爆者の故谷口稜曄さんを取材した英国人ジャーナリスト、ピーター・タウンゼンド氏の著作(英国で84年初版)を起点に、記憶の継承や家族の絆を描くドキュメンタリー映画「長崎の郵便配達」がきょう公開される▲その時でした-と、きっと講話のたびに繰り返し語り続けた言葉だ。その重さをかみ締めたい。(智)

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