「To You With Love」(1959年、STRAND) 叙情的な気分に浸れる 平戸祐介のJAZZ COMBO・15

「To You With Love」のジャケット写真

 6月に入り憂鬱(ゆううつ)な気分になりがちですが、長崎では曇り空や雨の音に風情を感じずにはいられません。今回はそんな叙情的な気分に浸れる、コンテンポラリー・ジャズ・キーボーディストとして名をはせたジョー・ザビヌル(1932~2007年)の初の作品「To You With Love」(1959年、STRAND)を紹介します。
 ザビヌルは“音楽の都”ウィーン出身で、このアルバムを録音した当時は弱冠27歳でした。右も左も分からないままジャズの本場、アメリカの土を踏み、すぐに録音のチャンスを得ています。
 このアルバムでは、ザビヌルが故郷で取り組んだクラシックを下地とした、正統派ジャズを聴くことができます。彼は1970年代以降、アコースティック音楽には全く回帰しなかったので、この作品は大変貴重です。長くファンの間で垂ぜんのコレクターズアイテムとなっていました。私も血眼で探し、ニューヨーク留学中、奇跡的に入手できた1枚です。
 内容はクラシックで培った正確なピアノタッチと洗練されたフレーズによって、珠玉のスタンダードナンバーを軽快に演奏する非常にシンプルなものです。バラードに荒削りな部分が散見されますが、聞き応えがあります。
 メンバーも非常に興味深く、ベースにジョージ・タッカー、ドラムにフランキー・ダンロップ、曲によってコンガ奏者のレイ・バレットが参加します。
 その後「帝王マイルス・デイビスとの一世一代の共同制作」「サックス奏者で盟友のウェイン・ショーターとフュージョングループ最高峰『ウェザーリポート』結成」などの流れをご存じなら、なおさらこのアルバムのすごさに気づきます。
 私も故郷長崎からジャズの本場へ渡った経緯が重なり、録音当時のザビヌルが自身への期待や希望を胸に活動していたのだろうと推測するとますます気持ちが高ぶります。この後の彼の出世を見ると、チャンスを物にするかしないかは、絶え間ない努力と時代を切り開く野心、行動力なんだろうと、改めて感じずにはいられません。
 ジャケットには大きく美しい1輪の薔薇(ばら)が描かれ、なんと叙情的でしょう。今は亡きザビヌルからのエールのようです。このアルバムには音楽以前に人生そのものの儚(はかな)さも感じずにはいられません。
(ジャズピアニスト、長崎市出身)

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