「John Coltrane Concert in Japan」(1973年・impulse!) 長崎に大きな足跡残す 平戸祐介のJAZZ COMBO・16

「John Coltrane Concert in Japan」のジャケット写真

 雲の切れ目から時折のぞく太陽に、夏の到来を感じますね。私は「スタミナをつけなければ」と構えてしまいます。さて今回は7月ということで、ジャズの限界の可能性を求め果敢に挑んだサックス奏者、ジョン・コルトレーン(1926~67年)の初来日公演(66年)を記録したアルバム「John Coltrane Concert in Japan」(73年、impulse!)を紹介したいと思います。
 なぜ7月にジョン・コルトレーンなのか。それは彼が7月に来日公演を果たしたからです。ジャズファンにとってとんでもない事件であり、そのことは歴史的にも音楽的にも言えることでした。
 当時の米国ジャズ界は電化ジャズ(フュージョン)へ向かう者と、フリージャズ(無調音楽)へ向かう者とに2分され、彼はまさしくフリージャズへの煽動(せんどう)者になっていました。当時の日本では、米国のジャズ情報などはだいぶ遅れて入ってきていたので、日本のジャズファンは彼が60年代初頭に演奏していたモード奏法を主体としたジャズ、もしくは50年代のスタンダードジャズを演奏してくれるのだろうと期待していたそうです。
 ところがふたを開けてみるとびっくり仰天。激しく、宗教的で、難解なフリージャズの演奏が展開され、ファンはその光景に驚き、すぐに席を立つ人もいたほどすさまじい演奏形態になっていました。「娯楽」としては全く機能していませんでしたが「先鋭性」という意味では群を抜いていました。当時とどまる勢いを知らなかった学生運動とも融合し、一つの社会現象にもなったのです。
 また彼は平和をこよなく愛し、当初予定にはなかった長崎公演を彼の強い希望で実現させました。場所は今はなき長崎市公会堂。その演奏を聴いたファンの中には彼の音楽にますます深く傾倒し、同市内でその後隆盛を迎える「ジャズ喫茶文化」の礎となった人もいたほど。歴史的にも大変意義ある公演になったのです。
 今回紹介するこのアルバムを知っているだけで、長崎のジャズ文化の尊さや、偉人コルトレーンの長崎への愛を感じていただけるのではないかと思います。長崎に大きな足跡と愛を残したコルトレーンの魂は、その後自身の弟分的な存在であったドラマー、エルビン・ジョーンズに引き継がれていくわけです。その話はまた今度。
(ジャズピアニスト・長崎市出身)

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