元和大殉教400年

 江戸前期の1622(元和(げんな)8)年9月10日、江戸幕府は長崎・西坂で、キリシタン55人を処刑した。「元和の大殉教」と呼ばれる。ちょうど400年となる10日、西坂公園などでカトリック長崎大司教区の記念祭が開かれる▲幕府は1614年にキリスト教の信仰を禁じていたが、「キリシタンの町」長崎の信仰熱は冷めず、大多数の住民が信仰を守り続けていた。命懸けで宣教師をかくまう信徒も多かった▲業を煮やした2代将軍徳川秀忠は、捕らえていた宣教師や信徒らの大量処刑に踏み切る。その残酷さは、日本二十六聖人記念館(西坂町)で展示されている「大殉教図」を見ればよく分かる▲神父や修道士ら25人は火あぶりにされた。長時間苦しめて棄教(ききょう)させようと、勢いを弱めた火でじわじわ責め立てた。その前には、幼い子どもを含め斬られた30人の首を並べた。従わぬ者を力で押しつぶし、良心を奪うことさえいとわない人間の暗い闇だ▲聖書は「義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」と教える。殉教者たちは信仰で心を鍛え、信念を貫き通す道を選んだ▲人はどこまで強くなれるのだろうか。殉教者の姿は、人間の内には闇もあれば、まばゆい光もあると教えてくれる。忘れてはならない長崎の記憶である。(潤)


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