「猛反対ある中で国葬」安倍氏と吉田氏、状況似通う2人の元首相

吉田茂元首相の邸宅を出発する葬列(大内博氏撮影)

 27日に予定されている安倍晋三元首相の国葬を巡って賛否が分かれる中、1967年に戦後の政治家として唯一行われた吉田茂元首相の国葬の時と状況が似通っていると指摘する声もある。「吉田さんも猛反対がある中で国葬が行われた」と話すのは、延台寺(大磯町大磯)の住職で国葬が行われた当時の中島玄良元町長の長男に当たる中島源吾さん(79)。吉田氏の国葬当日、中島さんはテレビ中継に映る父親の姿を眺めながら「大磯町民の心に残った」と胸に刻んだ。

 中島さんは大学卒業後、日本新聞協会に入り、各国メディアなどと国際交流する要職で世界を飛び回ったといい、「今でこそ日本が平和を保てているのは憲法9条と日米安保条約のおかげだという意見も多いが、当時は大反対された」と指摘。社会党が提唱した非武装中立論と対極的な吉田氏の政治姿勢に「米国の軍隊を駐留させたことで日本各地で闘争が起き、その元凶が吉田茂にあるとされた。安倍さんも同じ。(旧統一教会に関する)宗教問題も大きいが、安保法制で反対されて嫌われた」と両者の共通点を見いだし、政治家としての実績や印象が国葬にも影響したとみている。

 一方で「日米安保にサインしたのは吉田さん一人。責任を持って推進していなければ、日本は独立していなかったかもしれない」と外交手腕を評価。安倍氏が国葬に値する人物かどうかは判断しづらいとしながらも「該当し得る人を選んだわけで、世界は日本がしっかり行えるかを見ている」と語り、あくまでも国葬という場を重要視している。

 いわゆる弔問外交で、世界への経済的影響力などが薄まり閉塞(へいそく)感が漂う日本にあって、海外から多くの政府要人らが参列する国葬を新たな外交を展開させる好機と捉える。中島さんは「今回の国葬を将来の世代に向けて、この国を少しでも良い方向へと結び付けてほしい。近視的でなく、大きな視点で考えることも必要だと思う」と話している。

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